110年前の縁が再結集「未来の高峰譲吉は君だ! 王桜ラボ」開催報告
2026年8月21日(金)、東京都北区立王子桜中学校の夏休みの理科室に、6つの中学校・高等学校から32人の中高生が集まりました。
当研究会が主催した、中高生向け特別実験講座「未来の高峰譲吉は君だ! 王桜ラボ」です。石川県・金沢工業大学バイオ・化学部から、生命・応用バイオ学科の相良純一准教授と学生15名が来校し、大学の実験室で実際に使われている器具をそのまま持ち込んで、約2時間の実験指導にあたりました。

会場となった北区立王子桜中学校。北区立王子小学校と同じ建物に併設されている。
高峰譲吉(1854〜1922)は、消化酵素タカジアスターゼを製品化し、アドレナリンの結晶化に世界で初めて成功した化学者・実業家です。この講座は、その業績を「歴史の知識」としてだけではなく、同じ酵素を自分の手で測ってみるというかたちで中高生に伝えることを目的として開かれました。
以下、当日の記録です。
1. なぜ「王子」だったのか ―― 3人の縁と、6つの学校
今回の講座には、実験教室という以上の意味がありました。高峰譲吉・渋沢栄一・北里柴三郎の関係です。化学者、実業家、医学者。まったく違う仕事をしていた3人ですが、その生涯はいくつもの場所で交わっています。
<高峰譲吉と渋沢栄一>
二人は、日本で初めての化学肥料会社「東京人造肥料会社」を共に立ち上げました。のちに高峰が提唱した理化学研究所の設立でも足並みをそろえ、渋沢の渡米にあたっては高峰が現地で支えるなど、生涯にわたる交わりがありました。
<高峰譲吉と北里柴三郎>

1904(明治37)年2月28日付の米紙『ニューヨーク・プレス』日曜版に掲載された記事「日本における諸科学部門の驚異的発達」
1歳違い(北里が年上)の同時代人であり、二人とも当時世界最大の製薬会社パーク・デイヴィス社の研究顧問を務めた間柄です。1904年、高峰は米紙『ニューヨーク・プレス』への寄稿で、北里の業績を写真付きで海外へ紹介しました。また、北里が支援していた横綱・常陸山の米国外遊を高峰が世話したこともあります。二人は共に東京の青山霊園に眠り、墓所は歩いて数分の距離です。
<渋沢栄一と北里柴三郎>
二人は当時の深刻な国民病であった結核に立ち向かうため、1913(大正2)年に日本結核予防協会を設立。渋沢は副会頭に就いています。二人はいずれも新紙幣の肖像に選ばれています。
約110年前に、3人が揃った記録も残っています。
1913年に株式会社となった三共(現在の第一三共)では、高峰が初代社長に就き、渋沢が立ち上げを後押しし、北里が学界の側から支えました。
1917(大正6)年1月22日には、3人が同じ席に着いています。東京銀行倶楽部で、渋沢栄一と高峰譲吉が米国の実業家デビス氏を招いた午餐会に、北里柴三郎も招かれました。(『渋沢栄一伝記資料』第39巻/『中外商業新報』1917年1月23日)
この1か月後、渋沢と高峰は日米協会の設立に向けて動き出します。幕末から明治、大正へと、日本が近代国家として立ち上がろうとしていた時代に、「日本を強くするには何が必要か」という一点で、3人は交わっていたのです。
1922(大正11)年に高峰が亡くなったときには、葬儀の友人総代に渋沢と北里も名を連ねています(喪主は塩原又策)。事業をともにしただけでなく、生涯を通じて友人でもあったということです。(塩原又策述『思ひ出の四十年』1938年)
そして2026年のいま、この3人それぞれに縁のある学校が、北区とその周辺に並んで立っています。参加した6校のうち、5校が王子の周辺にあります。
| ゆかりの人物 | 縁のもと | 参加校 |
|---|---|---|
| 渋沢栄一 | 北区で晩年を過ごし、王子製紙(現・日本製紙)を創業した | 北区立王子桜中学校 北区立堀船中学校 |
| 高峰譲吉 | 渋沢の支援で設立した東京人造肥料会社が、のちに日産化学として北区に工場を構えた | 北区立明桜中学校 東京成徳大学高等学校 |
| 北里柴三郎 | 2026年4月に北里大学の系列校となった | 北里大学附属順天中学校・高等学校 |
この5校は、いずれも歩いていける距離に固まっています。3人の偉人にゆかりがあり、しかも互いにご近所同士。110年前に交わった3人の縁を、その子孫にあたる学校でもう一度つなぎ直す。その真ん中に位置していたのが、会場となった王子桜中学校でした。
もう1校 ―― 日本初の化学肥料会社が生まれた場所から
参加校のなかで、1校だけ場所が離れています。東京都立科学技術高等学校です。
高峰譲吉と渋沢栄一が東京人造肥料会社を興したのは、北区ではありません。1887(明治20)年、現在の江東区大島・釜屋堀の地でした。日本で最初の化学肥料工場が建てられたその土地は、いま釜屋堀公園になっています。
園内には「化学肥料創業記念碑」が建っています。1943(昭和18)年に除幕されたもので、除幕式には渋沢栄一の嫡孫・渋沢敬三も参列しました。碑の正面に大きく刻まれているのは「尊農」の二文字で、農を尊ぶという意味です。土台には稲や大根、南瓜といった作物が実る姿があしらわれ、ここが日本の化学肥料産業の出発点であったことを、いまも静かに伝えています。
その釜屋堀公園のすぐ隣に建っているのが、東京都立科学技術高等学校です。
科学技術を看板に掲げ、スーパーサイエンスハイスクールにも指定されているこの高校が、日本で最初の化学肥料会社が生まれた土地の隣にある。この符合に気づいた王子桜中学校の阿久津光生校長は、実際に高校に足を運び、「この関係は、すごいことですよね」と学校側に伝えるところから声かけを始めました。
距離としては離れていても、高峰譲吉との縁の深さでいえば、この学校こそ創業の地に立っている。今回、江東区から王子まで足を運んでもらう形で参加が実現しました。
こうして、渋沢栄一ゆかりの2校、高峰譲吉ゆかりの3校、北里柴三郎ゆかりの1校、計6校の中高生が、ひとつの理科室に集まることになりました。

当日のチラシ。高峰譲吉・渋沢栄一・北里柴三郎の3人と、それぞれに縁のある参加校が並んでいる。
2. 中学生は「麹菌」から、高峰譲吉の原点をなぞる
13時40分、実験講座が始まりました。中学生と高校生ではテーマが違うため、理科室の前と後ろに分かれ、2つの実験が同時に進みます。
中学生が向き合ったのは、アミラーゼです。
デンプンを分解する酵素として、中学校の理科の教科書にも登場します。ただし書かれているのは「デンプンを分解する」という一行だけ。この日は、その先に進みました。

実習に先立ち、金沢工業大学の学生がプロジェクトの趣旨を説明。
デンプンは、そのままでは栄養になりません。アミラーゼが長い鎖を切り、別の酵素がさらに切り、最後にグルコース1個の形になって、はじめて人の体に取り込まれる。教科書の一行の裏側には、いくつもの酵素がバトンをつなぐ工程がありました。
そして、この分解の力を世界で初めて「製品」にしたのが高峰譲吉です。麹菌がつくり出す酵素を取り出し、消化薬タカジアスターゼとして世に出した。微生物を、ものづくりの道具として使った最初の例でした。
「今では当たり前になっているこの発想を、最初に思いついたのがすごい。自分でつくらずに、微生物につくってもらうという発想なんです」
生徒たちは、小麦のアミラーゼと麹のジアスターゼの分解力を実際に測って比べました。数値が大きいほど、酵素がよく働いている。どちらが強いかは、グラフを見れば一目でわかります。
話は、生物の成り立ちにも及びました。アミラーゼを持つのは、デンプンを餌にしてきた生物だけ。裏を返せば、一つの酵素を見るだけで、その生物が何を食べて進化してきたかが見えてくるということです。しかも微生物は、置かれた環境が変われば、その環境に合った酵素を新たにつくり始めます。
「これは人間にはできません。生物のすごい力のひとつです。それを上手に使ったのが高峰博士なんですね」
「手前味噌」の語源
昔は各家庭で味噌を仕込み、自分の家のものが一番うまいと自慢し合った話が紹介される場面もありました。日本の発酵文化の延長線上に高峰譲吉の仕事があることが、自然に伝わる構成になっていました。
3. 大学の実験室が、そのまま理科室にやってきた
理科室の反対側では、高校生グループが机に本物の実験器具を並べていました。
微量の液体を正確に量り取るマイクロピペットと、溶液が光をどれだけ吸収するかを測る分光光度計。どちらも金沢から運ばれてきた、大学の実験室で日常的に使われているものです。
講師が器具の取り扱いについて説明を行います。
「これが本物のピペットマンです。フランスのギルソン社のもので、ピペットマンというのは本来この会社の商品名なんですよ。微生物を扱う実験では、机の上のチリがひとつ混じっただけで、その実験は終わってしまいます。だから器具は常に清潔に、細心の注意を払って扱ってください。」
器具の説明は、そのまま実験に向き合う姿勢の話になっていました。
分光光度計は、本来なら研究室に据え付けたまま動かさない装置です。それをあえて持ち運べる機種で用意した理由は、「比較的廉価な機種であれば中学・高校でも導入できるということを見てもらいたくて持ってきました」というものでした。
高校生が取り組んだのは、光の吸収から濃度を読み取る実験です。この実験で生まれる物質は黄色く発色し、その濃さが溶液の濃度に比例します。つまり黄色の濃さを数値にできれば、酵素がどれだけ働いたかが分かる。目に映る「色」を、誰とでも比べられる「数」に翻訳する。それがこの実験の骨格です。
では、黄色の濃さはどうやって測るのか。
「物が黄色に見えるということは、黄色以外の色を吸収しているということです。だから、黄色がどれだけ濃いかを知りたいときは、黄色の補色の波長を当てるんです」

美術の授業で習う色相環。黄色の反対側にあるのは青紫で、その波長はおよそ400〜450ナノメートルです。理科と美術が、ここで一本につながりました。
テーブルごとについた大学生に見守られながら、生徒たちは自分の試料を装置にセットし、表示された数字を読み上げていきます。手元の「黄色っぽさ」が、比較できる数値に変わっていく。定量分析という言葉の意味が、手を動かしながら伝わっていく時間でした。
生物を知りたいのに、必要になったのは光の性質であり、色の理屈であり、数の扱いでした。
「生物が好きな人も、数学や物理が分からないとダメなんですよ」
この一言は、研究者の在り方を教えるものでもありました。
4. 「人と、何かを起こす」
15時20分。全員が正面を向き、相良准教授の最後の話が始まりました。
まず語りかけたのは、歴史を勉強してほしいということでした。
「3人が生きたのは、幕末から昭和の初めです。日本が強くなるためにどうすればいいかを、みんなが必死で考えていた時代でした。高峰譲吉は化学で世界をつくろうとした人であり、同時に自分がつくったものをどう世に広めるかを考えた人でもある。北里柴三郎はドイツに渡って医学を極めた。渋沢栄一は農民の出身でありながら、経済の感覚で日本の経済界をまとめ上げ、近代の日本をつくった」
「その時代背景をちゃんと勉強したうえで、3人の関係性を調べてみてください」
そのうえで、この日いちばん伝えたかったことが続きます。
「研究ももちろん大事です。でも、本当に重要なのは、人と何かを起こすことなんです。それができるかどうか。まず自分の仲間を見つけて、その仲間と何ができるかを考える」
「今日、皆さんは違う学校の人と同じテーブルに座りましたね。話をしながら実験を進めたから、面白かったし楽しかったと思います。その関係を持って、次はこれで何ができるかを考えてほしい」
110年前に3人が交わったのも、まさにそういう場でした。研究や事業の中身以前に、人と人がつながったところから何かが始まった。その事実が、この日の締めくくりとして生徒たちに伝えられました。

スクリーンには高峰譲吉・渋沢栄一・北里柴三郎の3人を並べた「Fin.」のスライド。黒板には「麹菌」の文字が残っている。
5. 生徒代表からの謝辞
その後、王子桜中学校3年の生徒2名が代表として前に立ち、謝辞を述べました。
一人は「楽しくてあっという間に終わってしまった。全然知らない言葉がいっぱい出てきて、最初は難しかったけれど、大学生の皆さんが丁寧に教えてくれて理解できました」と話しました。
もう一人は「先生方の説明を聞いたときは簡単そうだなと思ったのに、実際にやってみると時間の使い方も難しくて、全然できなかった。科学の実験について、考えさせられることがありました」と、率直な感想を述べています。
そして、金沢工業大学の皆さん、主催してくださった方々、準備を手伝ってくださった方々への感謝の言葉で締めくくり、全員の拍手で講座は終了しました。

王子桜中学校3年の生徒2名が代表として謝辞を述べた。
6. 新聞でも紹介されました
この講座の様子は、翌8月22日の読売新聞で紹介されました。
「化学者・高峰譲吉の功績学ぶ」「北区の中学校で実験教室」という見出しで、6校から計32人の中高生が参加したこと、高峰が幼少期を過ごした石川県から金沢工業大学の相良純一准教授と学生が招かれて講師を務めたこと、高峰がタカジアスターゼを発明した過程を再現する実験が行われたことが報じられています。
紙面には、参加した王子桜中学校3年の男子生徒の言葉も載っていました。「難しい内容もあったが、大学生が優しく教えてくれて、好きな理科への関心が高まった」。
そして記事は、この講座が、区内で晩年を過ごした渋沢栄一が高峰を支援したという経緯を踏まえて開かれたものであることにも触れていました。今回の企画の背骨が、外部の目にもきちんと届いたことになります。

読売新聞 2026年8月22日 東京都内版。写真には「白衣を着た大学生に教わりながら実験に取り組む生徒たち」と添えられている。
おわりに
今回の講座を振り返ると、生徒たちの側だけではなく、大人たちにも成果があったように感じます。
理科室の後方では、参加校の校長・副校長、スクールコーディネーター、区議会議員、区教育委員会の関係者が、2時間立ちっぱなしで実験を見守っていました。普段は交流の機会がほとんどないという学校同士の先生方が、この日は同じ部屋で、同じ実験を見ながら言葉を交わしていました。一つの理科室が、地域の教育関係者が顔を合わせる場にもなっていたのです。
金沢工業大学の学生15名にとっても、中高生に教えるという経験は、大学の実験室では得られないものだったはずです。「黙っていたらつまらないので、とにかく話をしながら進めてください」という冒頭の呼びかけどおり、どのテーブルでも会話が絶えませんでした。
もうひとつ、この日の記録として書き添えておきます。夏休みの午後を返上し、自分の意思で理科室に足を運び、マイクロピペットを握った高校生は7名。そのうち5名が女子生徒でした。科学に強い興味を持つ中高生が集まってくれたことを、ありがたく思います。
NPO法人高峰譲吉博士研究会は、高峰譲吉博士の業績を広く発信し、科学技術教育の振興と次世代人材の育成に取り組んでいます。今回の講座も、その活動の一環として開催したものです。
110年前、高峰譲吉・渋沢栄一・北里柴三郎の3人は、それぞれ別の場所で別の仕事をしながら、人と人のつながりのなかで日本の近代をかたちづくりました。その3人にゆかりのある6つの学校が、いま、ひとつの理科室に集まりました。110年の時を越えて、縁が再び結び直された一日でした。
この32人のなかから、いつか「未来の高峰譲吉」が現れることを願っています。
開催概要
名称:「未来の高峰譲吉は君だ!」中高生向け特別実験講座(王桜ラボ)
日時:2026年8月21日(金)13:30〜15:30
会場:北区立王子桜中学校 4階 第1理科室(東京都北区王子2-7-1)
主催:NPO法人 高峰譲吉博士研究会
運営・協力:金沢工業大学 バイオ・化学部/北区立王子桜中学校
指導教員:金沢工業大学 バイオ・化学部 生命・応用バイオ学科 准教授 相良 純一
参加校:北区立王子桜中学校/北区立堀船中学校/北区立明桜中学校/北里大学附属順天中学校・高等学校/東京都立科学技術高等学校/東京成徳大学高等学校
参加者:中高生 32名/金沢工業大学 学生 15名
記事作成:令和8年9月4日/文責:事務局










