高峰譲吉は、多岐にわたる分野で活動を行いました。英国留学後、農商務省(現在の経済産業省)に就職しました。日本固有の産業や技術を掘り起こし、その分野に最新の化学の知識を応用したいと考え、官僚として仕事を進めます。その後、独立・起業し、日本初の人造肥料会社を設立。そしてアメリカに拠点を移し、消化酵素タカジアスターゼの発明、アドレナリンの発見など、製薬業界における輝かしい業績を残します。関連した企業をいくつも起ち上げましたが、晩年は、日米関係を最重要課題と捉え、国際交流や慈善活動を主として民間大使と呼ばれました。

譲吉のお墓はニューヨーク郊外のウッドローン墓地にあります。墓地の案内には下記のように、紹介されています。「世界で最初のでんぷん分解酵素(タカジアスターゼ)を1896年に開発したことにより”近代バイオテクノロジーの父”として尊敬を集め、1901年にはアドレナリンを世界で初めて分離した。また有名なワシントンの桜を(アメリカに)寄贈したのも博士である。」

 

高峰譲吉年譜➡