「化学起業家の先駆け 高峰譲吉関係資料」が化学遺産 第046号に認定されました。

公益社団法人日本化学会は、1878年創立から140年を迎える歴史ある学会です。前身の東京化学会で薬学の始祖・長井長義が会長の時、若き高峰譲吉(当時農商務省勤務)は常議員を務めていました。現在は、アメリカ化学会に次いで世界でも2番目の規模を誇ります。

2005年より、化学と化学技術に関する貴重な歴史資料の保存と利用を推進するため、化学遺産委員会を設置し様々な活動を展開しています。さらに2010年から、世界に誇る我が国の化学関連の文化遺産を認定し、それらの情報を社会に向けて発信する「化学遺産認定事業」を開始しました。これは、次世代に貴重な歴史資料を伝え、化学に関する学術と教育の向上及び化学工業の発展を目的とするものです。

本年2018年3月8日には、日本化学会による第9回化学遺産認定の記者会見が行われ、下記の3件が新たに認定されました。関係資料を多数所蔵する金沢ふるさと偉人館でも同日、記者会見が行われました。

認定化学遺産 第044号 グリフィス『化学筆記』およびスロイス『舎密学』
認定化学遺産 第045号 モノビニルアセチレン法による合成ゴム
認定化学遺産 第046号 化学起業家の先駆け 高峰譲吉関係資料

第一三共株式会社 所蔵
・タカヂアスターゼ薬瓶(1909年発売品)
・タカヂアスターゼ外箱(1932~45年販売品)
・アドレナリン薬瓶(栓、内容物、含む。1913~1932年販売品)
金沢ふるさと偉人館 所蔵
・タカヂアスターゼ関係特許証(米8点、1891-1896)
・パークデービス社関係の書簡類68点
・タカヂアスターゼ商標登録証(1909)
・アドレナリン関係特許通知(ベルギー、ドイツ、イタリア、カナダ、4通、1901-1903)
・顕微鏡(高峰研究所)

第9回化学遺産認定 パンフレット(三つ折り・表)

第9回化学遺産認定 パンフレット(三つ折り・裏)

ちなみに、2010年の第1回化学遺産認定では、化学遺産 第002号 『上中啓三 アドレナリン実験ノート』が認定され、譲吉がパンフレット上に登場し、さらに2012年の第3回化学遺産認定の化学遺産 第012号『田丸節郎資料(写真及び書簡類)』においても、田丸節郎と譲吉のツーショット写真が掲載されています。田丸は、ニューヨークの高峰研究所に籍を置いていた時期があり、その頃撮影された写真です。他にも、同じ加賀藩出身の桜井錠二や上中啓三[リンク;HPゆかりの人・上中啓三]の指導者であった長井長義など、近しい関係者の資料も化学遺産認定されており、譲吉は日本近代化学のまさに中心にいたことが伺えます。

共同研究者・上中啓三の実験ノート

田丸節郎と高峰譲吉(1917年頃)

さて、2018年3月20日から23日まで、日本化学会第98春季年会(2018)が日本大学理工学部船橋キャンパスで開催されました。3月21日(水、春分の日)には、関連行事として「第12回化学遺産市民公開講座」が催され、今回の各認定資料の詳しい内容が紹介されました。以下、講座の様子をお知らせいたします。

 

 

当日は、3月にも関わらず強い冷え込みがあり、小雨が降っていましたが、大勢の年会参加者が見受けられました。市民公開講座のプログラムは下記の通り、今回認定を受けた3件の化学遺産についての紹介講演と幕末の幸民ビールの復刻に関する特別講演です。

・(No.044)グリフィス『化学筆記』およびスロイス『舎密学』
・(No.045)第2次世界大戦中に日本でも合成ゴムは工業生産された!-忘れられた歴史-
・(No.046)化学起業家の先駆け 高峰譲吉~タカジアスターゼとアドレナリン~
・「幕末の幸民麦酒の復刻物語」

市民公開講座の会場は日大キャンパス内の教室で、60名近い方々が参加されました。
「化学起業家の先駆け 高峰譲吉~タカジアスターゼとアドレナリン~」の講師を務めたのは、認定資料の調査をされた新井和孝氏(国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構 放射線医学総合研究所)です。新井さんは、日産化学工業株式会社に長く勤められた後、現在の量研機構に移られました。
日産化学工業㈱は、高峰譲吉、渋沢栄一、益田孝が中心となり設立した東京人造肥料会社が前身であり、また新井さんの職場だった研究所が日大船橋キャンパスのすぐそばにあるということで、強い縁を感じました。

 

  • 約60名の方が講演に参加されました。

 

講演は、講師ご自身の紹介に始まり、高峰譲吉の略歴、各資料の紹介・説明、石田理事長の著書「ホルモンハンター」や上中ノートの化学遺産認定など、35分があっという間に感じられる興味深い内容でした。余談ですが、日産化学工業㈱の新人研修プログラム(当時)では、東京・釜屋掘公園[リンク:https://www.npo-takamine.org/info/08.html#kamayabori]にある化学肥料創業記念碑を訪れるそうで、創業の歴史に敬意を払う同社の姿勢が印象に残りました。

合わせて特別講演「幕末の幸民麦酒の復刻物語」にも参加を致しました。
1550年創業の小西酒造株式会社の取締役生産本部長、辻巌氏が講師を務め、日本で初めてビールを醸造した川本幸民について詳しくご紹介頂きました。幸民は、ビールの他にもマッチや銀板写真機、電信機などを日本で初めて作り、またそれまで「舎密(せいみ)学」と呼ばれていた学問を「化学」という言葉で紹介し、「蛋白質」といった科学用語を初めて使った人物です。
幸民がドイツの農芸化学書「化学の学校(Schule der Chemie)」のオランダ語版を和訳した「化学新書」には、ビール醸造のことが詳しく書かれており、幸民はこの本を基にビールを作ったと考えられます。驚くことに上述の醸造法は、現在のエールビール醸造法とほとんど同じだそうです。普段何気なく口にするビールですが、色々な背景を知ったことで味わいが深くなりそうです。

高峰博士のみならず、知られざる偉人達の歴史的業績がより広く社会に認識され、特に若い世代に刺激を与えることで、研究会の願いでもある「科学技術に関心を持つ若者が増え、発明発見により技術立国を目指し、事業を起こし、そして社会貢献ができる人が出現すること」を期待します。

 

記事作成:2018年3月26日 文責:事務局

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