渋沢栄一と高峰譲吉 その4

渋沢栄一と高峰譲吉の接点について3回(その1その2その3)に渡って記事の公開をしておりますが、今回は、日本の通信社史における二人の関わりについて報告いたします。

日本の経済史、産業発展の歴史は今回の大河ドラマ「晴天を衝け」で改めて注目を浴びていますが、通信社の歴史はまだまだよく知られていません。

実は、国際的な通信社の基礎を作り上げたきっかけは、高峰の提案と渋沢の行動力によるほんの小さなものだったことをご存知でしょうか。

1913(大正2)年、AP通信(Associated Press)の東京支局長であるジョン・ラッセル・ケネディが、ニューヨークの本社からフロリダのセントピーターズバーグに転勤を命じられました。

ケネディは、ワシントン・ポストの特派員として来日した後、AP通信の支局長として長年日本に滞在し、活躍していました。

同年の年末、帝国ホテルでケネディの送別会を行った際、一時帰国していた高峰が

「せっかく今日まで永い年月、日本に駐在し、我が国に幅広い人脈と多くの友人を持ち、最も良く日本と日本人を理解しており、しかも能力と経験に定評があるケネディ君のような新聞記者を、日本から失うことはとても惜しいことである。出来ることなら彼を東京に引き止めるとともに、この際今の日本に欠如している国際的な通信社を作り、彼にその経営をして貰えたらよいのではないか」

と提案したことから、事が動きます。

さて、少しさかのぼって通信の歴史を見ていきましょう。

世界的にみると、フランスのアヴァス通信社(現・フランス通信社)、ドイツのヴォルフ電報局、イギリスのロイターが3大通信社として、業界を牛耳っていました。

3社は激しく競合していましたが、1870 年には、衝突による疲弊を避けるためニュースの収集・販売の独占権を分け合うことを決定しました。

アヴァス:フランス及びその領土、イタリア、スペイン、スイス、ポルトガル、エジプトの一部、フィリピン、ラテン・アメリカ諸国
ヴォルフ:ドイツ及びその領土、オーストリア、オランダ、北欧、ロシア、バルカン諸国
ロイター:大英帝国、トルコ、エジプトの一部、極東(中国、日本)

また、我が国では1890年、第1回帝国議会が開かれた頃、国政の動向や政論を配信する小規模な通信社・新聞社が数多く生まれました。現在、日本最大の広告代理店である「電通」も、1901年に創業した「電報通信社」が前身です。

日本はロイターの勢力圏に入っていたので、日本の通信社・新聞社は海外のニュースが欲しければ原則としてロイターと契約を結ぶこととなり、またその契約内容も不利な条件が多く、ロイターの大きな収益となっていました。

この3社の独占体制に続く通信社が、AP通信です。ニューヨークの新聞社を起源とするニューヨークAPとシカゴで創設された西部APを結成し、AP通信となりましたが、ロイターの後塵を拝していました。

そんな状況下で、渋沢はロイターのインタビューを受けたことがありました。そのニュースの公表方法についてロイター側の粗雑な対応があり、渋沢は日本側の見解に立ってニュースを取り扱う重要性を感じていました。

また1909年8月に渡米実業視察団の団長としてアメリカを訪れた渋沢は、同国における日本関係の記事が非常に少ないこと、しかもそのわずかな記事の中には悪意に基づくものもあることを憂慮し、日本から海外にニュースを積極的に発信する必要があるとの認識を持つに至りました。

さらに、1911年には、AP通信のメルヴィル・イライジャ・ストーン (Melville Elijah Stone) が来日講演し、日本も国家代表通信社 (National News Agency) を持つべきだと主張しています。

これらの背景があったため、高峰の提案に対し渋沢を初め送別会の参加者たちは、直ちにこの案に賛成したのです。

さて、場面は帝国ホテルに戻ります。高峰の提案について、参加者たちはその場で、ケネディ自身に意向を確かめました。

「もし日本の有力者である皆さんがそのような日本の通信社を作られるならば、自分は日本に留まって、その通信社のために責務を果たします」

とケネディが答えたので、話は急激に進展します。

渋沢を中心とし、井上準之助、小野英二郎、樺山愛輔を主催者として、経済界の有力者を説得、新通信社設立の資金十万円を集め、翌年、「合資会社国際通信社」を創立しました。

そして、社長に樺山愛輔、総支配人にケネディという布陣で、日本における国家代表通信社 (National News Agency)の第一歩が始まったのです。

出典:時事通信社 沿革・実績(https://www.jiji.co.jp/company/history)

渋沢は、日本のニュースを日本の観点から世界に発信するとともに、海外とも同等の条件で情報の取り扱いを行うことを期待していましたが、大手通信社との交渉は困難な道のりでした。結局ロイターの影響から脱却することはできずに、不利な条件で契約を結ぶことになりましたが、数々の再編を経て、現代の真に独立した国家的通信社に発展する礎を構築したことは間違いありません。

改めて渋沢と高峰の繋がりを考えると「思いついたら動く、動いたら実現させる、実現させたら苦難を乗り越え発展させる」、こういった力強い意志と行動力がいつの時代も求められると、改めて感じます。

(文責:事務局、記事作成:令和3年6月28日)

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