「尾崎行雄を全国に発信する会」の総会に参加
6月22日(土)に神奈川県相模原市緑区又野にある咢堂記念館にて、「尾崎行雄を全国に発信する会」の総会が開催され、相模原市長や市議会議長、教育長などが来賓として参加する中、当研究会事務局長もお招きに預かりました。
尾崎行雄(咢堂)は、「憲政の神様」といわれ日本でもっとも有名な政治家と言っても過言ではありません。会場となった記念館は、生誕地である尾崎家代々の屋敷に昭和32年1月に建設され、敷地内には尾崎家の墓や、井戸、稲荷神社が残されています。
当日は快晴で、気温は30度近くまで上がりました。新緑が眩しい津久井湖畔を車で過ぎ、現地に向かいました。事務局長が咢堂記念館を訪れるのは2013年の「里帰り桜」の植樹式以来で、実に11年ぶりです。当時に植えた苗木がずいぶんと大きく育っていました。
時を遡ること1912年、当時の東京市からワシントンのポトマックとニューヨークのハドソンの両河畔に日本の桜が寄贈されました。アメリカ人女性シドモアの発案に、大統領夫人のヘレン・タフト、ニューヨーク総領事だった水野幸吉や東京市長の尾崎行雄、そして高峰譲吉など日米の多くの協力者が応えて実現しました。
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その後、2011年から2012年にかけて、日米友好の象徴である桜寄贈の100周年を記念し、今度はアメリカから日本へ「里帰り桜」が贈られることとなりました。この「里帰り桜」は、2011年春に金沢市の「ワシントンの桜・里帰り事業」実行委員会が米国政府から譲り受けた150本の穂木を1年かけて苗木に仕立てたものです。この苗木のうち2本が、研究会のつてで咢堂記念館と相模大野公園に届くこととなったのです。
今回の総会でのゲストスピーチでは、春に新調されたポトマック河畔の展示パネルに尾崎行雄と高峰譲吉の写真が並んで紹介されていることをお伝えしました。そして、日米桜寄贈は国家プロジェクトであり、実にたくさんの人々が協力し支え合ったオールジャパンの力が結集した結果であることを改めて確認しました。
ところで、100年前の返礼として1915年にタフト大統領から日本に送られたのは、40本のハナミズキでした。アメリカに送られた桜の苗木作りを任されていた熊谷八十三氏が初代校長を務めていたことから、そのうちの1本が都立園芸高校に植樹されました。本来、ハナミズキの寿命は約80年といわれていますが、40本のうち現存する原木はこの1本のみで、園芸高校はこの原木から苗を絶やすことなく作り続けているとのことです。また、このハナミズキの苗木は咢堂記念館にも植えられています。
桜と同様に、ハナミズキもまた国際的な友好の象徴として重要な役割を果たしていることがわかります。こうして、国家間や首都のみならず、さまざまな組織や人々の歴史や関係性が桜やハナミズキといった自然のシンボルによって繋がれていると考えると、非常に感慨深いものがあります。
これからも、この美しい伝統と友好の象徴が多くの人々に愛され続け、次の世代へと受け継がれていくことを願っています。
記事作成:令和6年7月11日/文責:事務局