「ひとの心に寄り添った高峰さん」

高峰博士の、発明家や研究者としてではない一面を垣間見る文章について、新たな発見がありましたので、考察を含め紹介します。(以下、敬称略)

小説「女徳」(著者:瀬戸内寂聴 出版:新潮社)において、主人公の「たみ」がアメリカで高峰研究所に訪れたとの記述があり、その場面を原文のまま引用します。

『伊原にも木田にも内緒で、たみは、ある日秘かに高峰研究所を訪れていた。所長の高峰譲吉博士は、日本へ帰っていた時、千竜 ※ 時代のたみをひいきにして、度々座敷へ呼んでくれたことがあった。洋装のたみを応接間に迎えた高峰博士は、その愕きがさめないうちに、たみの口からもっと意外なことばを聞いて、眼鏡の奥の慈眼を、ほうと、大きく見はっていた。』(P.306-307)

※ 千竜(小説内における、見習い時代のたみの芸名)、高峰研究所(アメリカ、ニューヨーク在所)

『高峰譲吉にいきなり、学校へ入りたいと頼み込んだのが、もう一ヶ月前になる。今の間に出来るだけ教養を身につけたいというたみの真剣な口調を聞いて、芸者姿の千竜としてしかたみとつきあったことのない博士は、愕いた。けれども、愕きがさめると、「それもよかろう」と一言いっただけで、すぐ秘書を呼び、てきぱき、たみの入れそうな学校を調べあげてくれた。その結果、このキャッスル・スクールの夏期講習の入学が、規約もやさしく、学歴のないたみでも入れそうだというので、手続きをとってくれたのだった。
「学校というところは、何もそこへ入って、何を習ったということが大切なんじゃなくて、毎日校庭で日なたぼっこして、教室で居眠りしていても、そこに何年か、何ヶ月か通ったということだけで、プラスになるサムシングが身についてくるものだ。のんきに、やるがいいよ」それが博士のはなむけの言葉だった。』(P.308-309)

『あんまり夢のような生活だと思ったら、やっぱり夢のようにはかない幕切れだった。世話をしてもらった高峰博士にだけは、合わす顔もないけれど、粋人の博士は案外笑って見すごしてくれるだろう。』(P.328)

さて、この「たみ」とは誰なのでしょうか。
著者の瀬戸内寂聴は、この小説の主人公には実在のモデルがいるとしており、それは新橋の人気芸妓から後に京都で尼僧になった高岡智照と明らかにしています。

高岡智照(たかおか ちしょう)
照葉1896年(明治29)4月22日奈良県生まれ。本名、辰子(たつこ)。2歳の時に母と死別し、叔母に育てられる。1908年(明治41)、13歳で大阪宗右衛門町の舞子となる。結婚話を解消しようとした若旦那に自分で切った左小指を送り届けた事件は、14歳の時。1911年(明治44年)、16歳のときに東京新橋の芸者となり、照葉の芸名で西園寺公望・桂太郎ら政財界の大物の贔屓となり天下の名妓となる。このとき姿絵の絵葉書が東京で爆発的に売れる。18歳で政界のフィクサーの愛人となり5年、大阪へ戻り、23歳の時結婚。夫の仕事で渡米するも、夫は米国人の愛人を作り、1年近くパリに放置され、日本人留学生と恋愛。自殺未遂もあり、29歳で離婚。7つ年下の男と一緒になり、映画俳優、原稿書き、酒場のマダムなど次々経験するがうまく行かず、男を捨てて、奈良に戻る。1934年(昭和9)、38歳で出家して智照と改名。1936年(昭和11)、京都嵯峨野の祇王寺の庵主となる。晩年は俳句に生きた。瀬戸内寂聴の小説「女徳」の主人公のモデル。平成6年10月22日死去、98歳の大往生であった。真言宗大覚寺派尼僧、著書に『金春日記』『尼生活』『花喰鳥』等がある。

高岡智照の自伝「花喰鳥」(かまくら春秋社)においても、本人が高峰博士と面識があり、アメリカのニューヨークで会っていたとする内容が記されている。こちらも原文を引用させていただきます。

『私はいつしかシカゴの駅でもらった名刺を頼りに、高峰譲吉博士のオフィスを訪ねました。高峰博士は「タカジアスターゼ」や「アドレナリン」の発見者として有名な工学、薬学博士でした。渋沢栄一、益田孝さんらと人造肥料会社を設立し、アメリカに度々渡って酒の醸造法を研究するうちに「ジアスターゼ」を発見し、巨万の富を築いたのでした。当時はニューヨークに住んでいました。高峰博士は、ニューヨーク郊外のタリータウンという所にある家政学校を紹介してくれました。』
「花喰鳥」下巻(七)同性愛 P.119

小説「女徳」における両者の具体的なやり取りは、裏付けのあるものなのでしょうか。

『己の生涯といえば、かつて瀬戸内寂聴尼さんが私の半生を素材にして、「女徳」という小説を書かれたことがありました。瀬戸内寂聴尼さんが出家をするだいぶ以前のことでした。ある日、私に会いたいとのことで、この祗王寺を訪ねてこられました。五月雨が竹林を濡らす日だったと記憶しています。私は問われるままに自分の愚かな半生を話しました。祗王寺を舞台に、そこに現れる尼僧が私をモデルとしたものでした。』
「花喰鳥」 下巻(十九) 小倉山の風 P.377

これらの引用をもとに考察すると、小説「女徳」を書くために瀬戸内寂聴が高岡智照尼に取材を行い、その過程で、自伝では記されることのなかった高峰博士とのやり取りや会話について話されたのではないかと推測されます。
誰に対しても紳士的であり、親身になって相談にのる高峰博士の姿が目に浮かびます。

参考文献

照葉 「女徳」
 著:瀬戸内寂聴
 出版:新潮社花喰鳥 「花喰鳥」
 著:高岡智照尼
 出版:かまくら春秋社
(作成:平成27年7月10日/文責:三門・石田)

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