1. タカジアスターゼの発明
2. タカジアスターゼ、人気爆発
3. 三共商店(現・第一三共株式会社)のはじまり
4. タカジアスターゼの命名由来
5. 「吾輩は猫である」に登場するタカヂアスターゼ

タカジアスターゼの発明

譲吉は、ウイスキー製造業の見通しが潰え病床にあっても、不屈の精神で色々な研究に専念し、活動を続けました。そして、「麹菌の強力な酵素は、醸造だけでなく人間の胃腸における消化も助けるに違いない」とかねてから温めていた発想を練り直し、胃腸薬タカジアスターゼの工業生産法を研究助手の清水鐡吉とともに完成させます。

タカジアスターゼは麦を製粉した時に出る「ふすま」(産業廃棄物)を活用して麹菌を培養するため、低コストで効率的に生産が可能となるメリットがありました。譲吉は完成からほどなく、1894年2月、タカジアスターゼの米国特許を申請し、9月に特許権を得ました。

麦の皮部分「ふすま」と麹菌の胞子

このタカジアスターゼにいち早く着目したのは、当時世界最大の製薬会社パーク・デイヴィス社の経営者の一人、ジョージ・デイヴィスでした。譲吉はパーク・デイヴィス社よりコンサルタント・エンジニアのオファーを受け、契約を交わします。また同時にタカジアスターゼの販売に関する契約も交わし、翌1895年には「TAKA-DIASTASE」という商標で粉末胃腸薬を主体とし、ほかに液剤、カプセルも含めて発売、たちまち幼児から大人まで使える人気商品となりました。

パーク・デイヴィス社(ミシガン州デトロイト市)1890年代、米国で製薬業界をリードしていた。

パーク・デイヴィス社の共同経営者ジョージ・デイヴィス(右)とハーヴェイ・パーク(中央)、発売直後のタカジアスターゼ(㊧:粉末 ㊥:液剤 ㊨:カプセル)

米国におけるタカジアスターゼ関連の特許と1895年米国薬学会誌掲載のTAKA-DIASTASEの広告

タカジアスターゼ、人気爆発

「タカジアスターゼ」は、ほどなく米国内だけでなくヨーロッパでも人気商品となりました。ただし、譲吉は祖国日本に限っては、塩原又策(当時22歳)にその販売権を委ねました。これが三共商店の始まりであり、日本を代表する製薬企業、第一三共株式会社(現在)の原点となります。

この頃(今から130年ほど前)のアメリカやヨーロッパでは、乳幼児の消化不良は大変重要な問題でしたが、麦芽から抽出し煮詰めて製造していたジアスターゼ液が唯一の医薬でした。
しかしそれは「水あめ」の状態で、工場で製造するにも、瓶詰するにも、大変不便であり、医師も投薬に難儀していました。譲吉のタカジアスターゼは乾燥した粉末で、安定性、作業性において格段に優れ、管理や医師による投薬も大変容易であったので、 たちまち世界中でヒット商品となったのです。

左:水あめ状態のジアスターゼ 右:粉末状のタカジアスターゼ

三共商店(現・第一三共株式会社)のはじまり

創業者塩原又策と譲吉の開発したタカジアスターゼの最初の出会いは、1898(明治31)年の春でした。前年、友人の大谷嘉兵衛と起ち上げた絹織物事業の業績が振るわず前途に不安を抱いていた塩原は、年末に渡米した西村庄太郎に、何か日本で事業化することができそうな新事業の探索を依頼していました。米国において、能勢辰五郎シカゴ領事の宴席に招かれた西村は、その席でタカジアスターゼの強力な効果を実際に体験しました。これこそ塩原の新事業になると直感した西村は、能勢領事の紹介状を手にニューヨーク在住の譲吉を訪問、友人の塩原に日本でのタカジアスターゼ販売権を与えてくれるよう頼み込みました。

領事の紹介状もあり、西村の熱意も譲吉を動かしました。まだ面識のない塩原にタカジアスターゼを試売することを了承し、見本を西村に託しました。帰国した西村から海外におけるタカジアスターゼの評判を聞くとともに、見本で効き目を確かめた塩原は、タカジアスターゼの輸入販売事業に踏み出す決意をしたのです。

左:タカジアスターゼの登録商標。1899年、三共商店はタカジアスターゼを輸入し、試験販売を開始している。 右:タカジアスターゼの日本販売広告

三共商店薬品部。東京の南茅場町。創業は横浜であったが、パーク・デービス社の総代理店などを経て東京に進出。

タカジアスターゼの命名由来

・そもそもジアスターゼ(diastase)は、発見者であるフランス人科学者A. Payenが命名した。語源は古典ギリシャ語のdiastasisで、分離(separation)を意味している。
・タカ(taka)は、古典ギリシャ語の「速く」という意味の副詞「takha」から着想し、両者を組み合わせて「タカジアスターゼ」としたのではないだろうか。

上記見解を、京大学術出版会の西洋古典学専門の国方栄二先生よりご教示頂きました。

「吾輩は猫である」に登場するタカヂアスターゼ

夏目漱石の「吾輩は猫である」では、苦沙弥先生と呼ばれる学者が、慢性的な胃痛と消化不良のために、書斎に閉じこもってタカジアスターゼを服用する姿が、猫の目を通してユーモラスに描かれています。この苦沙弥先生は、漱石自身がモデルと言われており、当時のベストセラー小説の中に薬の名前が登場したことは、タカジアスターゼが胃腸薬の代名詞として、いかに広く人々に愛用されていたかがよくわかります。

吾輩は猫であるの初版本

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