青山霊園へ墓参 ~没後100年を迎えて~
1922年7月22日、高峰譲吉博士がニューヨークで逝去してから本年でちょうど100年となります。
命日である7月22日に東京・青山霊園にお墓参りに行きました。朝から少し雨が降っていましたが、霊園に到着した11時ごろには晴れ間が見えていました。
今年は観測史上最も早い梅雨明け宣言が出されたものの、戻り梅雨となり不思議な天候が続いていました。雨上がりの蒸し暑さと蝉の声に囲まれながら、墓石に向かいます。
今回の墓参はコロナ禍ということもあり遠方からの参加を断念し、最終的に事務局のスタッフと「大江戸ディスカバリー」のプロデューサーの合計4名となりました。
いつものように高峰博士になじみ深い、外国人教師フルベッキ、次の千円札の肖像に選ばれた北里柴三郎博士、そして元外務大臣の小村寿太郎翁の3名の墓石にもお参りをしました。
高峰博士のお墓は、日本でタカジアスターゼの独占販売権を得て三共商店を創立した塩原又策翁のご親族が管理されています。
高峰・北里・塩原は特に親交が厚く、1904(明治37)年セントルイス万博の視察とパーク・デイヴィス社訪問に来た際にミシガン湖にヨットで繰り出す三氏の写真が残されています。
高峰博士のお墓を塩原家が守り、北里博士も同じ霊園内に眠っていることに連綿と続く関係性を感じます。

ミシガン湖上のヨットにて(左から塩原又策、北里柴三郎、高峰譲吉)
現在、没後100年を記念して、研究会は高峰博士のお墓内に案内サインの設置を計画しております。墓参や散策に訪れる方々に、より分かりやすく正確に情報を伝えたいと考えています。
青山霊園には他にもたくさんの人物が眠っています。故人たちの人間関係に思いを馳せながら、歴史を振り返るのも趣があるのではないでしょうか。
完成しましたら改めて報告いたしますので、ぜひお立ち寄りください。
記事作成:令和4年8月8日、文責:事務局