ワシントンの桜寄贈紹介パネルが美しく復活!

アメリカの首都ワシントンD.C.のポトマック河畔は、春になると満開の桜が咲き乱れ、多くの人々の目を楽しませています。この美しい景観は、1912年に日本から贈られた桜の木々によって生み出されました。

この日本の国花寄贈計画は紆余曲折を経て実現するまでに、多くの関係者による壮大なストーリーがありました。詳細はこちらの記事でまとめていますので、ぜひご覧ください。

日米桜寄贈の全容

高峰譲吉は、タカジアスターゼの発明やアドレナリンの結晶化に成功するなど、世界的な功績を残した日本の化学者であり、日米友好にも多大な貢献を果たしました。ワシントンの桜寄贈にも深く関わった高峰の功績を称え、ポトマック河畔には、その歴史を紹介するパネルが設置されています。

紹介パネルはジェファーソン・メモリアルを望む絶好の場所に設置

パネルには高峰の他に、桜植樹計画の発案者であるエリザ・シドモア、植物学者のフェアチャイルド、東京市長の尾崎行雄が載っていますが、長年の風雨にさらされ、文字や写真が読み取れないほど劣化していました。

劣化する紹介パネル(左冊子はA5変形版)

そのことを、高岡市の関係者が視察の際に発見し、高峰譲吉の顕彰をすすめる高岡市を通じてアメリカ国立公園局に伝えたところ、在米国日本大使館、ナショナルモール国立公園のサポートを受け、パネル修復プロジェクトが動き出しました。

日米両国の関係機関が迅速に連携した結果、修復プロジェクトは予想を上回るスピードで進展。最初のコンタクトからわずか半年余り、2024年の全米桜祭り開催期間中に修復作業が完了するという奇跡的なスケジュールで実現しました。設置場所も変更になったようです。

全米桜祭りは毎年100万人以上の来場者が見込まれる一大イベントです。今回のパネル修復は、高峰譲吉の功績と日米友好の歴史が改めて認識され、両国の関係をより一層深めることになるのではないでしょうか。

新たに修復設置されたパネル:在米国日本大使館提供

最後に、新しくなったパネル画像と文面の和訳をご紹介いたします。

<桜の贈り物>
1900年当時、アメリカでは食用の実をつけない桜は一般的ではありませんでした。しかし、日本を訪れたアメリカ人旅行者は、その木の美しさに目を奪われ、ジャーナリストのエリザ・シドモアはワシントンD.C.に桜を植えることに着想を得ました。彼女と農務省の植物学者であり植物探検家のデビッド・フェアチャイルドは、都市の景観を美しくすることに関心を持っていました。1909年、このプロジェクトは日本の花桜の写真に見惚れていたファーストレディのヘレン・ヘロン・タフトに最上の支持を受けました。最初の贈り物は翌年、東京からワシントンD.C.に届けられました。

<1910年の出荷>
1910年1月6日、2,000本の桜が東京からワシントンDCに到着しました。農務省の科学者たちは、海外から持ち込まれる昆虫や害虫の危険性をより認識し始めていました。科学者たちは木に昆虫や線虫が付着していることを発見し、全ての出荷分を焼却処分しなければなりませんでした。アメリカ合衆国国務省と日本当局の共同努力により、危機的な外交的状況は回避されました。そして1912年3月26日、改めて3,000本以上の健康な木が到着しました。翌日、最初の2本の木が植えられました。

<人物紹介>
・エリザ・シドモア(左端):ジャーナリストであり、日本文化に深い関心を持っていました。彼女は20年以上にわたりワシントンD.C.に日本の桜を植えることを提唱しました。
・デビッド・フェアチャイルド博士(中央左):アメリカ農務省の植物学者で、アメリカ合衆国に数千種の装飾用植物、食用植物、その他の植物種を導入しました。
・尾崎行雄(中央右):桜の贈り物の際の東京市長で、日本とアメリカ合衆国の良好な関係を進展させることに尽力しました。
・高峰譲吉博士(右端):著名な化学者であり、製薬会社第一三共の初代社長。東京市からワシントンD.C.への木の贈り物において重要な役割を果たしました。

記事作成:令和6年6月6日/文責:事務局

 

 

 

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