高岡・金沢にて北陸講演活動(2024年)
当研究会では毎年1回、北陸地域の教育機関で講演活動を行っています。
2008年から始まったこの活動は16年目となりました。新型コロナウイルス感染症の影響で活動を休止していた時期もありましたが、現在は完全に復活しています。
本年(2024年)も例年通り、高峰博士の生誕地である高岡と、幼少期を過ごした金沢で講演を実施しました。今回は、高岡市内の中学校と金沢工業大学で行い、それぞれ多くの学生にその功績や歴史を伝える機会となりました。
今回の講演は11月27日に行いましたが、前日から現地入りしていた際、夜に大きな地震が発生しました。今年の元日(1月1日)にも石川県能登地方で地震があり、その復興がまだ十分に進んでいない状況の中、地元の方々の大変さを改めて感じるとともに、一日も早い復興を願うばかりです。
金沢工業大学での講演
金沢工大における当研究会の講演は、2015年から始まり今年で7回目となります。講演は応用バイオ学科の授業の一環として組み込まれ、朝1限目の実施となり約60名の学生が受講しました。
前半は、科学伝記漫画「高峰譲吉物語」の動画を流し、後半は講演という形です。9月には応用バイオ学科「未来の高峰譲吉博士は君だ! 発酵産業活性化プロジェクト」の学生が、東京都北区の中学校に出張して昨年に続き2回目の科学実験教室を開催しました。
授業終了後、一人の女子学生から「マッサン」こと竹鶴正孝と高峰譲吉の関係について質問を受けました。二人とも外国人パートナーと結婚し、ウイスキー製造に注力した共通点に興味を持ったようです。
実は、譲吉が留学したスコットランドのグラスゴー大学に、後年、竹鶴も留学しており、同じ応用化学科で学んでいました。ただし、二人の間には約40歳の年齢差があり、譲吉が現地で勉強していたのは竹鶴が生まれる前のことです。
また、譲吉が米国ピオリアで麹菌を活用したウイスキー生産を試みるも、地元の反対運動により醸造工場と研究所を火災で失った翌年、1894年に竹鶴が誕生しました。そして、譲吉が逝去した翌年の1923年には、日本初のモルトウイスキー蒸留所「山崎蒸留所」が竹鶴初代所長のもとで稼働を開始するという、まるですれ違うような歴史があります。
現時点では二人に直接的な接点は確認されていませんが、もし何か繋がりがあったとしたら、さらに興味深い話題になることでしょう。
ちなみに、金沢工業大学のバイオ・化学部は、2023年度の理工系学部別実就職率ランキングで堂々の1位に輝いています。実就職率とは、大学院進学者を除いた卒業生のうち、就職した人の割合を示す指標で、より実態に即した就職状況を把握できる数値です。
その実就職率はなんと 100%!
卒業生全員が就職を果たしたことになります。
この結果から、同学部が学生のキャリア支援や教育において非常に高い成果を上げていることがうかがえます。
高岡市立五位中学校での講演
午後には金沢から移動し、高岡市立五位中学校で講演を行いました。この講演には、全校生徒と先生方を含め約230名が参加しました。生徒たちは廊下ですれ違う際にもきちんと挨拶をしてくれ、その礼儀正しさがとても印象的でした。また、地元の新聞社が取材に訪れ、翌日の朝刊に取り上げられました。
余談ですが、前日に東京から金沢へ向かう新幹線は強風の影響で一時停止し、夜更けには地震、明け方からは豪雨という厳しいコンディションが続きました。しかし、体育館での講演を終え外に出ると、そこには真っ青な青空が広がっていました。この激しい天候の変化は、北陸ならではの特徴かもしれません。
この地方には「弁当忘れても傘忘れるな」との言い伝えがあります。雨の日が多く、天気が変わりやすいので、とにかく傘だけは持っておけ、という先人たちからの教えです。この日もその言葉の大切さを改めて実感しました。
NHK 先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) で高峰譲吉が取り上げられます!
歴史上の人物から様々な「知恵」を学び、日常の悩みや課題のヒントにするNHKの人気番組、歴史居酒屋「知恵泉」に高峰譲吉が登場します。研究会も資料や情報提供に協力いたしました。
放送日時は、12月24日(火) 午後10時~10時45分です。
番組詳細は公式HP「先人たちの底力 知恵泉(ちえいず)」をご覧ください。
奇しくも、前週は同時代に活躍し、米国の製薬会社で顧問として同僚だった北里柴三郎博士が特集されました。ご覧になられていない方は、ぜひ見逃し配信等もチェックしてみてください。
記事作成:令和6年12月19日/文責:事務局