高峰譲吉博士とシカゴ領事館

タカジアスターゼの発見、アドレナリンの結晶化を成し遂げ世界的な名声を手に入れた高峰譲吉博士ですが、1890年に家族と共に渡米した後の数年間は、栄光と挫折を繰り返す波瀾万丈の時期でした。そんな中、1896年12月30日にアメリカから日本に宛てた博士直筆の書簡について、前後の状況と合わせて紹介します。

1890年、第一回衆議院議員総選挙のあった年、高峰譲吉は36歳でした。
米国において「(麹による)酒精製造法」の特許が成立した譲吉は、渋沢栄一らと起ち上げた日本初の化学肥料会社、「東京人造肥料会社」を退職し、ウイスキートラスト社の招聘を受けて、アメリカ人の妻と二人の子供を連れて渡米を決意しました。

渡米後、譲吉はウイスキートラスト社のシカゴ試験場を経て、本拠地のイリノイ州・ピオリアで実験を重ね、実用化の試験を繰り返しました。譲吉が提唱したアルコール製造方法は画期的であったため、地元業者は価格競争に負け、仕事を奪われると猛反発し、嫌がらせが続き、脅迫状が届く日々でした。

そんな中、研究開発は進展し実験成功、実用化が目前というところで、原因不明の火災事故が試験棟で起きます。実験室を含めすべてが灰燼に帰してしまったのです。混乱の最中、ウイスキートラスト社は株主が分裂し、解散が決定。新方式の醸造方法開発は完全に中止となってしまいます。

失意の中、譲吉は持病の肝臓障害が再発、一時危篤の状態に陥ります。ピオリアでの事業挫折の後、シカゴに引き上げた高峰一家は困窮を極めていました。しかし不屈の譲吉は、困難な状況の中にあっても色々な研究に専念し、病床でもその活動は続けられました。そして、「麹菌の強力な酵素は、醸造だけでなく人間の胃腸における消化も助けるに違いない」とかねてから温めていた発想を練り直し、胃腸薬タカジアスターゼの工業生産法を完成させます。

譲吉と胃腸薬タカジアスターゼに着目した会社が、当時世界最大の製薬会社だったパーク・デイヴィス社でした。1894年9月にタカジアスターゼの米国特許権を得た譲吉は、パーク・デイヴィス社からコンサルト・エンジニアのオファーがあり契約を交わします。年棒3600ドル(帝国大学教授の給与より高い)の条件でした。また、同時期にタカジアスターゼの販売に関する契約も取り交わし、1895年より「TAKA-DIASTASE」という商標でこの粉末胃腸薬が発売され、たちまち人気商品となったのです。

渡米以来、初めて安定した収入を得てようやく一息ついた譲吉が耳にしたのは、シカゴ領事館開設のニュースでした。シカゴは、譲吉一家のアメリカにおける最初の拠点です。妻キャロラインの両親も移り住んでいたこともあり、愛着を持った土地で祖国・日本と米国の架け橋となることができると意欲を持った譲吉は、外務大臣・大隈重信に宛てて筆を取ります。

ちなみに、丁寧な挨拶文と自分の履歴書から成っているこの手紙用紙には、Jokichi Takamine Office Chamber of Commerce 6641 Woodlawn Avenue Chicago のレターヘッドが記載されています。

 


▲ 大隈重信宛 直筆書簡(※1)/ クリックすると拡大画像をご覧になれます。

 


▲ 大隈重信宛 直筆履歴書(※1)/ クリックすると拡大画像をご覧になれます。

※1 「高峰譲吉書簡:大隈重信宛」 早稲田大学図書館特別資料室所蔵

本文の現代訳を以下に記します。

拝白 旧年の間に幾度かお目にかかる機会を得て光栄に存じます。
本国の新聞にて国内外の貿易拡張のためシカゴ市に領事館を開設することを知り、当地在留邦人はもとより、商業上関係のある現地米国人も大変喜んでおります。議会の議決によれば、明治三十年度より開設と認識しておりますが、わたくしは、農商務省に奉職した後、会社を設立し執務に携わりながら商工業の研鑽を積み、その後シカゴへ移住しました。六年間自身の発明した製造法をもとに醸造業に従事しており、その間当市の主要商工業者と交流を深め、情勢についても理解をしていると自負しています。政府が、シカゴ市へ領事館を設置すると英断されましたことに、外国に在留している身としまして天皇の恩にわずかでも報いるために、また農商務省在職中にサンフランシスコ領事に打診を受けた際、醸造事業の試験中にて恩命に応えることができなかったことを思い、現在は試験も無事完了していることから、公務に従うことは最も光栄なことと考えております。本年二月に松井当国公使館書記官より、栗野前公使の内命を受けて、名誉領事採用につき履歴書を提出するよう承り、その後本年十月をもって、農商務省より当市と本国の商工業通信業務を受け、従事していました。今回新設の領事としてご採用を得るのは、自分の深く希望するところであり、履歴書を提出致しますので、採用頂けることを光栄に考え、願っております。
敬具
明治二十九年十二月三十日
外務大臣
大隈重信殿

シカゴ市
高峰譲吉

履歴書 ※()内は訳者による追加意訳
正七位 石川県士族 高峰譲吉 四十一才

明治七年
旧工部大学校官費入学 応用化学専修
明治十二年
同校卒業 工学士の学位を授与
同年
英国(に)官費留学 グラスゴー大学(アンダーソン・カレッジ)並びに諸製造所において応用化学を三年間専修
米国を経て明治十五年に帰朝
明治十五年
農商務省奉仕御用掛 拝命 工務局勤務
明治十七年
二月 米国ニューオリーンズ(にて開催された)万国工業(産業)博覧会事務官 拝命
九月 現地出張、翌年九月 帰朝
明治十八年
特許局次長 拝命
特許局長米国出張中 局長代理 拝命
同年
正七位に叙せられる
明治十九年
農商務省四等技師に任ぜられ、分析課長を兼任
山形(有朋、内務大臣・農商務大臣兼任)、井上(馨、外務大臣)両大臣に随行し、北海道を巡回
その他工業視察として地方巡回及び出張を数十回担当
明治二十年
三月 依願退職
欧米各国へ商工業視察並びに諸器械買入れ 益田孝(三井物産創設者)氏同行
ドイツ、イタリア、フランス、オーストリア、ベルギー、英国、米国を巡回
十一月 帰朝
同年
十二月 東京人造肥料会社(資本金二十五万円)を発起
工場建策、製造、社勢(経営)一切に三年間従事しながら、私立化学試験所を起こして、三、四名の助手とともに、自身が発明した醸造新法の試験を行っていた。
明治二十三年
家族並びに酒造杜氏(造酒専門技術者)一名と渡米し、醸造新法を実地従事を五年余り続け、漸く成功
米国、英国、ドイツ、フランス、オーストリア、ベルギー各国で十種以上の専売特許を獲得し、諸新法の実行及び拡張に従事
明治二十五年
米国シカゴ万国博覧会日本事務局評議員 拝命
明治二十九年
十月 農商務省より本邦とシカゴ市に関する商工業通信を嘱託

高峰譲吉
511 Chamber of commerce, Chicago, Illinoi, USA

結局、譲吉の希望はかなわず初代シカゴ領事は能勢辰五郎に決まりました。
しかし興味深いことに、後に、能勢領事はタカジアスターゼの日本総代理店となる三共商店創業に一役買っています。

能勢辰五郎領事 出典:新釜山大観

官報1897年12月06日 国立国会図書館所蔵「12月1日にシカゴ帝国領事館が開庁した」との記述が見受けられる。

当時日本では、塩原又策が横浜で主として絹輸出の事業家として第一歩を踏み出していました。しかし、中国で絹の生産量が急増し、予期していたほど業績が振るわず、日本で事業化できそうな新しいアイディアの探索を貿易商社で活躍する友人・西村庄太郎に依頼していたのです。シカゴで能勢領事の宴席に招かれた西村は、その席でタカジアスターゼの効能を実際に体験し、これこそ塩原の新事業になると考え、能勢領事の紹介状を手にニューヨークに移り住んでいた譲吉を訪問しました。そして、塩原にタカジアスターゼの情報を伝え、三共商店創業への道を拓いたのです。「三共」という名称は、塩原又策、西村庄太郎、福井源次郎の三名の共同出資にちなんだものだそうです。

※4 三共百年史(平成12年発行)現在は、第一三共株式会社として世界有数の大手製薬メーカーに成長しています。

譲吉が領事に任命されることはありませんでしたが、その後の活動は一領事の範疇を超え、日本と米国の民間外交の礎となり、無冠の大使と呼ばれることとなりました。客観的に博士の業績を説明する文章は数多くありますが、直筆の書簡は貴重です。行間から読み取れる心の機微は興味深く、また、どのような道を歩んでも初志を貫徹した生き方を思うと、感慨無量です。

現在のシカゴ領事館に問い合わせたところ、下記の情報を提供して頂きました。
“1897年12月1日、アメリカ・シカゴに初めて領事館を開設。初代領事は、能勢辰五郎。管轄区域は20州に亘り、イリノイ、インディアナ、ミシガン、ウイスコンシン、ミネソタ、北ダコタ、ダコタ、ネブラスカ、カンサス、アイオワ、オハイヨ、ケンタッキー、ミズーリ、テネシー、アラバマ、ミシシッピー、アーカンソー、ルイジアナ、テキサス、オクラホマの各州。「日本外交文書」(外務省刊)によると、1907年頃の管内在留邦人人口は2209名で、内シカゴ在住者男455、女75名合計530人であった。米本土の領事館としてはサンフランシスコ、ニューヨーク、タコマ(後シアトルへ移動)について4番目の開設であった。”

 

《参考資料・文献》

新釜山大観(国立国会図書館)
官報第4330号(国立国会図書館)
三共百年史(第一三共株式会社)
高峰譲吉書簡:大隈重信宛(早稲田大学図書館特別資料室)
シカゴ領事館

(作成:平成29年1月27日/文責:石田・三門)

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