東京都北区立中学校と高岡市立中学校でオンライン交流会!
令和4年7月12日、渋沢栄一ゆかりの地・東京都北区の堀船中学校と高峰譲吉生誕の地・高岡市の福岡中学校の二校でオンラインによる交流会が行われました。
北区と高岡市、双方に取材に行きたいところでしたが、距離的な問題もありこの日は堀船中学校に伺いました。研究会からは両校に資料として「科学伝記マンガ」を贈呈しております。
なぜ「北区」と「高岡市」なのかということを少しだけ説明いたします。
北区立堀船中学校の阿久津校長が副読本発行のため渋沢栄一の研究をされているときに、高峰譲吉との関係についてお問い合わせ頂いたことが切っ掛けで研究会とのご縁が繋がりました。そして、コロナ禍の中にあっても渋沢と高峰の関係を時代を超えて再現できないかということで、両者に関連深い地域の中学生同士によるオンラインの交流会が実現したのです。
東京都北区の王子・飛鳥山には渋沢栄一の邸宅があり、この地が渋沢の人生の拠点となっていました。王子駅の裏手には飛鳥山公園があり、園内には「飛鳥山3つの博物館」の渋沢史料館、紙の博物館、北区飛鳥山博物館が並びます。
大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であり「新一万円札の顔」に選ばれた渋沢が、現在の埼玉県深谷市の農家に生まれた後、幕臣、官僚を経験し、民間の立場から明治日本の発展を支えたことは有名です。
堀船中学校の校歌には「近代の大工業地」というフレーズが登場します。阿久津校長のお話によると、これは「抄紙会社」(後の王子製紙)と製紙産業に連なる工場や会社たちを指しており、この大工業地帯を作り上げたのはまさに渋沢であると学生たちに繰り返し伝えているそうです。そのかいもあってか、学生たちは渋沢栄一を身近に感じているそうです。素晴らしいですね!
同様に高岡市でも郷土の偉人として高峰譲吉を取り上げ、その業績や功績を目にする機会が増えており、学生たちも高峰譲吉を身近に感じています。郷土の偉人に親しみや興味を持ち、それが学習を深めるきっかけになることはとても大事なことではないでしょうか。研究会も高岡市内の中学校に2008年から2019年まで年1回のペースで出張講演会を行っていました。
渋沢栄一と高峰譲吉の関係についてはこれまでに5回にわたってご紹介(その1、その2、その3、その4、その5)しましたが、両者のゆかりの地で勉強する若者同士が交流できたことは非常に嬉しく思います。
今回の交流会は両校の1年生が全員参加し、堀船中学校は65名、福岡中学校は94名が集まりました。
各校長の挨拶の後、「高岡市と高峰譲吉の紹介」スライドが映し出され、福岡中学校の生徒による発表から交流会は始まりました。
高峰の生家跡の「高峰公園」や国宝の瑞龍寺た高岡大仏、雨晴海岸など、高岡の歴史や観光地、名物などが紹介され、堀船中学校の生徒たちは興味深く話を聞いていました。
続いて、「渋沢栄一研究発表」として堀船中学校が説明しました。
スライドの1枚目には渋沢と高峰が並んで座る写真が使われていました!
こちらでは高峰と渋沢が協力して立ち上げた日本初の人造肥料会社やタカジアスターゼの第一三共株式会社、理化学研究所について説明するとともに、王子製紙や飛鳥山の邸宅など北区と渋沢の関係についての紹介がありました。
お互いの発表が終わった後は、一問ずつ交代しながらの質問タイムです。
最初は少し緊張があり固くなっていた様子でしたがすぐに打ち解け、質問を受けた後に誰がどのように答えるか、笑い声も聞こえて盛り上がりました。
※福岡中学校からほど近い、高岡市の国吉地区で栽培されている特産のリンゴ。生産量が多くないため大半が地元消費で、味はとてもおいしいのに県外にもあまり知られていないらしいです。
※突然のプライベートな質問に堀船中学校の生徒たちはざわついていましたが、渋沢と同郷の深谷出身の先生が助け舟をだしました。
質問を交わし交流会の終盤では、お互いの地域への興味が深まった様子が感じられました。
高岡に行ってみたいという北区の学生もおり、有意義な時間だったのではないでしょうか。
最後の接続が切れる場面ではお互いに手を振りあっていました。ぜひ2回目、3回目と継続して交流会を実施する機会があればと願います。
当日は北区立堀船中学校には読売新聞が、高岡市立福岡中学校にはNHK富山放送や地元のケーブルテレビをはじめ複数の新聞社が取材に入り、ニュースや翌日の新聞で取り上げられました。
記事作成:令和4年7月22日、文責:事務局
引用:NHK富山放送局