科学の先駆者・発明家として 英国留学で応用化学を学び、帰国後は農商務省に勤務しました。後に独立し、欧米の先進的な化学工業を日本でも確立するという使命のもと、日本初の人造肥料開発やタカジアスターゼの発明、アドレナリンの抽出・結晶化に成功しました。 事業家・起業家として これらの発明・発見を事業に結びつけることにも成功しました。譲吉が関わった会社は今も大きく成長を続けています。また、世界に後れを取らない日本人研究者育成のために「国民的化学研究所」(理化学研究所)の創設を強く提唱し実現させました。 国際親善・民間外交を通じて 譲吉は事業成功で得た富を、日米親善、民間外交のためにも、惜しみなく投じました。春になるとワシントンのポトマック河畔やニューヨークの公園を彩る桜並木は、譲吉の協力なくしてはアメリカに咲くことはできませんでした。