米国への桜寄贈100周年に寄せて

今年は高峰博士、当時の水野幸吉・日本総領事、エライザ・シッドモアさん、そしてタフト大統領夫人ヘレンさんらの尽力により、尾崎行雄・東京市長から3,000本の桜がワシントン市に寄贈されてちょうど100年。
 ワシントンDCでは盛大な桜祭りが行なわれておりますが(3/20〜4/27)、私たちNPO法人 高峰譲吉博士研究会では残念ながら取材に行けませんでしたので、メインスポンサーを務める第一三共(株)から資料をいただくことにいたしました。
 その代わり研究会としては、独自に相模原の尾崎咢堂(尾崎行雄)記念館、横浜の里帰り桜である「シドモア桜」、そして青山墓地にある高峰博士のお墓を取材して参りました。

1)尾崎咢堂記念館
「憲政の神様」、「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄は、安政5(1858)年に現在の相模原市緑区又野に生まれました(咢堂は号)。
 尾崎咢堂記念館は、生誕地である尾崎家代々の屋敷跡に昭和32年1月に建設されたものです。
尾崎咢堂記念館
 同記念館には、ワシントンからの里帰り桜と、米国から(寄贈した桜の)返礼として贈られたハナミズキが植えられているということでしたので、取材に伺いました。
 しかし残念なことに、「咢堂桜」と命名された里帰り桜は「普賢象」という品種の八重桜でしたので、開花はまだまだ、やっと蕾が膨らみかけたばかりでした。記念館の係の方によると、開花は4月下旬〜5月上旬とのことでした。
 またハナミズキの方も、通常開花は4月下旬からですので、その頃に訪ねれば両方同時にご覧になれることでしょう。
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 尾崎咢堂記念館については、>> こちら

2)シドモア桜
 横浜の里帰り桜は2ヶ所にあります。
 一つは横浜外人墓地内の、シドモアさんの墓所脇。もう一つが、これ。横浜・元町商店街入口の、谷戸橋際、交番のすぐ横です。
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 この桜は、シドモアさんのお墓の横に植えられた里帰り桜から、接ぎ木によって育てられた苗木を植えたものだそうです。
 川(運河?)沿いに植えられているのですが、川は高速道路で蓋をされ、風情も何もありません。それでも橋と川のある風景は、良しとするべきなのでしょう。
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 シドモア桜に関しては、第25回 シドモア桜の会 ポトマックに桜を咲かせた人脈 に詳しくレポートしておりますので、ご参照ください。

3)青山墓地・高峰博士のお墓
 昨年の博士の命日(7月22日)に取材/記事掲載いたしましたが、桜100周年のこの時期にも、行って参りました。
 青山墓地は桜の名所でもありますが、博士のお墓の周囲には桜の木はありません。しかし行ってみると、だいぶ後の方ではありますが、しっかり桜を望むことが出来ました。
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 この青山墓地には高峰博士に縁のある北里柴三郎博士のお墓もありますが、今回はもう一つ別の方のお墓をご紹介しましょう。
 それは明治の外務大臣、小村寿太郎のお墓です。

小村寿太郎 高峰博士が私財を投じて民間外交を展開されていたことは、残念ながらあまり知られておりません。日露戦争当時、外債による戦費調達に動いた高橋是清、講和を有利に導くべくルーズベルト大統領に働きかけた金子堅太郎らを陰で支え、米国世論を親日世論へと導いたのは博士の功績です。
 そして戦争終結後、日本全権としてポーツマス条約を調印した小村寿太郎も、当時、心から祖国日本の為に力を尽くした人でした(映画「TAKAMINE」に、小村寿太郎が登場するシーンがあります)。
 当時の国民からは「弱腰外交」とののしられましたが、小村は一言も弁解せず、後に「政治の難局に、我が身を忘れ国のために将来を思い、目的通り責任を果たした」と語ったそうです。

(平成24年4月11日/取材・文責 事務局)

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