タカジアスターゼの原点
2013年5月にHarvard University Pressから発行された『Adrenaline』の著者Harvard大学医学部教授B. B. Hoffman博士にメールで自己紹介をして以来、自然に「メル友」として情報交換が始まり、私は1884年のニューオーリンズ万博での高峰譲吉博士の意外な活躍を伝える文献を知ることになった。
1891年の学術誌(1)に、薬学博士Ferdinand Lascar氏が次のように記述している。
数年前、綿業百年記念博覧会(産業博覧会)※1 の表彰委員会の委員長をしていた時、各種の麦芽酵素製剤が検定試験用にと私に提出されました。その時、日本製の麦芽抽出製品※2 が博覧会の日本の責任者である高峰教授※3 から私に提供され、その飛び抜けた効力の高さに驚かされました。そして、大麦の麦芽単独ではなくて、全く異なった麦芽が使用されていることが想定されました。
それから4年後、パーク・デイヴィス社がタカジアスターゼを発売した1895年に、Lascar博士は別の雑誌(2)に「TAKA DIASTASE」というタイトルで非常に詳しい解説を上記雑誌の回想文も交えて書いているが、高峰博士のことを次のように描写している。
この方向での偉大な進歩は、立派な化学者高峰氏の発見である。彼は立派な化学者で、数年前の万国博覧会※1の日本のコミッショナーであった。その時、彼は私に日本で作った麦芽の抽出物を提示した。それは、ジアスターゼ活性と栄養価が大変高く、そのことについて私は、1891年発行の学術誌(1)に記載した。その論文で私は、麦芽の抽出物調製に当たっては、加熱し過ぎないように警告したが、それは熱が酵素活性を損ない、場合によっては澱粉分解力を全く無くさせるからである。ジアスターゼの調製にあたって過剰な熱をすべて避けることが、高峰氏の発見に基づいて現在パーク・デイヴィス社が製造しているジアスターゼが、澱粉をマルトースとデキストロースに変換する活性において完璧である原因の一つかも知れない。高峰の製品は乾燥粉末で、その外観は何年か前にドイツの有名な会社から受け取った製品と似ているが、その活性は格段に強い。
これに続いて、酵素化学的な長文の懇切な解説が記述され、最後にこう結ばれている。
タカジアスターゼは無味無臭の乾燥粉末で、投薬量が少量なので、でんぷん質の食物を必要とする幼児の消化を促進する薬として価値が高い。(中略)これは我々が長く待ち望んでいた医薬品であると認識されると私は考える。
Lascar博士は、乾燥粉末で強い活性のあるタカジアスターゼの2つの特徴を、的確に、かつ高く評価している。同氏は、万博で高峰博士から受け取ったジアスターゼが、大麦の麦芽単独ではなくて全く異なった麦芽から抽出したのではないか想定しているが、当時、麦芽の水抽出液の濃縮を高度な減圧下、極力低温で行う技術が、米国より日本が優れていたということはありえないことで、高峰博士は、既に麦芽からではなく麹菌からジアスターゼを効率良く抽出する研究を軌道に乗せていたのかもしれない。
※1 The World Industrial and Cotton Centennial Exposition in New Orleans, USA (1884年12月〜85年5月)
※2 これが粘性液体であったか、粉末であったか、記述は無い。
※3 原文にはProf. Takamine.と記述されている。
写真左:水飴 写真右:タカジアスターゼN1含有粉末胃腸薬
当時の麦芽ジアスターゼは、この左の写真の水飴と同じ状態で、小分け包装も、投薬も、他の剤との配合も大変不便であった。
それに比べて、右のタカジアスターゼは乾燥した粉末で、安定性、作業性において格段に優れ、医師による投薬も大変容易であったので、たちまち世界中でヒット商品となった。
パーク・デイヴィス社の広告(1895年)(3)にある商品説明の主要部分の和譯
麦芽エキスより強力
1.TAKA=DIASTASEは100倍量の乾燥澱粉を糖化。
2.TAKA=DIASTASEは全く安定。それに比して全ての麦芽エキスは時間と共に品質劣化。
3.TAKA=DIASTASEは粉末製剤。投与量は1-5グレイン(65-320mg)。
それに比して麦芽エキスは大量の不活性夾雑物を含んでいるので、大量投与が必要。
4.TAKA=DIASTASEは糖分を含まない。麦芽エキスは大量の糖分を含有しているので、
既往の病状を進行させがちである。
5.TAKA=DIASTASEは完全に水溶性で、中性或は弱アルカリ性溶液中で他の薬剤と混合
可能である。それに比して麦芽エキスは、粘性(ねんせい)があるので取り扱いにくく、
処方箋で他の有効薬と配合が難しい。
6.TAKA=DIASTASEは投薬量が少ないので経済的である。それに比して麦芽エキスは、
投薬量が多いので薬価が高くなる。
複数の著作に記述されているように、高峰博士は麹菌を利用したウイスキー製造の起業を断念した時点から、タカジアスターゼの製造法の研究を開始したと私も認識していた。構想は前から持っていたが、実行はその頃と認識していた。ところが、このLascar博士の学術報告に出くわして、ジアスターゼを産業にするという高峰博士の遠大な構想とその初期研究が、英国留学から帰国したころから既に日本で始まっていたことを初めて知った。
以上のように、タカジアスターゼの原点は、遠く1884年のニューオーリンズの万博の場で、高峰博士がLascar博士に強力なジアスターゼのサンプルを手渡した時点であると考えて間違いなと思う。それは実に今から130年前のことである。アメリカで高峰譲吉博士をFather of modern biotechnologyと顕彰する根拠をあらためて確認することが出来た私の喜びは大きい。
引用文献
(1) The Epitome of Medicine Vol.VIII., No. 12. Dec., 1891, p.529
(2) Medical and Surgical Reporter Vol. 73, Sept. 28, 1895, p. 13
(3) 1895年米国薬学会誌掲載のTAKA=DIASTASEの広告の部分和訳
引用文献(1)、(2)のコピーを取り寄せていただいたニューヨーク州立大学名誉教授 中津川勉博士に感謝します。
(作成:平成25年11月29日/文責:石田三雄)