アドレナリンの発見

当NPO法人「高峰譲吉博士研究会」の会員(当時)であり、NPO法人「近代日本の創造史懇話会」の理事長を務めてこられた石田三雄氏が、この度「アドレナリン」に関する本をお書きになり、近く京都大学学術出版会から刊行される運びとなりました。
 そこで石田氏にお願いし、出版前に当サイトのための簡単な記事をまとめていただきました。

石田三雄/1931年生。1954年 京都大学農芸化学科卒業。 同年三共株式会社入社。1996年同社取締役退任。農学博士。日本農薬学会名誉会員。
NPO法人 高峰譲吉博士研究会 元・理事長(故人)

上記の「アドレナリン」に関する本『ホルモンハンター』が、12月12日、発売されました。詳しくは、>> 京都大学学術出版会

超長寿命医薬品
 高い薬効が世界中で認められ、医薬品として現在まで長い間使い続けられている商品が3つある。アスピリン、タカジアスターゼ、そしてアドレナリンである。

・アスピリン
 まず消炎鎮痛剤アスピリンであるが、有効成分のアセチルサリチル酸は古く1853年にドイツですでに合成が報告されていたが、1897年にドイツ・バイエル社のフェリックス・ホフマンによって合成法が確立され、1899年に商標登録、その翌年に錠剤が発売されると一躍、超ヒット商品となった。それから100年以上、次々と用法、用量の工夫がなされ、今日でも配置していない薬局がないという超長寿命医薬品としてその存在を誇っている。

・タカジアスターゼ
 消化薬タカジアスターゼは、製法特許が1894年に高峰譲吉によってアメリカで出願され、翌1895年、当時米国の製薬業界をリードしていたパーク・デイヴィス社(PD社)から「TAKA=DIASTASE」の商標で、粉末胃腸薬として発売された。
 高峰は、日本酒の発酵生産に不可欠の麹菌を用いたウイスキーの製造法を開発し、一旗揚げようとアメリカ人の妻と2人の子を連れて渡米したが、その新醸造法で職を失うことになるモルト(麦芽)製造業者の猛反発を受け、試製工場も火災で失い、夫妻ともに内職で食いつなぐという惨めな状態におちいった。それを助けたのは、日本から採用した藤木幸助と清水鐡吉であった。
 でんぷんを糖類に変換する能力の極めて高い麹菌の酵素ジアスターゼが、発酵タンクの中で作用するのなら、胃袋という人間体内のタンクでも強く作用して食物の消化に役立つに違いないというアイディアを温めていた高峰は、災いを転じて福となそうと決意し、大学の後輩の清水の協力を得て、麹菌の中から効率よくジアスターゼを粉末で取り出すことに成功した。これの商品化を引き受けてくれる製薬会社を、技術系弁護士を通じて模索していたところ、このジアスターゼの効力を検定で確認させ、その圧倒的な強さを知ったPD社の経営者の一人、ジョージ・デイヴィスが高峰の能力を高く評価して、驚くべきことに特許出願の翌年に上記のように発売したのである。
 それまでの胃腸薬は、麦芽から抽出した液を煮詰めた水あめ状態の比較的不安定な製品で、医師が小分けして患者に提供することも、他の医薬と配合することも大変困難であったのに比べ、タカジアスターゼは極めて安定で長期保存が可能な上、多剤に配合して患者に提供することも簡単な粉末なので、発売当初から大変な人気商品となった。それから今日まで117年、世界中の胃腸薬にこのタカジアスターゼが配合されている。

『 アドレナリン 』
アドレナリン 3番目のアドレナリンは、副腎髄質から血流に分泌されるホルモンである。旧約聖書に最初の記述がある副腎は、その存在意義が長い間多くの科学者の好奇心の対象であったが、最初に大きな注目を浴びたのは、副腎が障害を受けたときに発症する「アジソン病」の発見であった。それとほぼ同じ時代、フランスのベルナールを中心とする生理学会が内分泌という概念を育てつつあったが、その一人であるヴュルピアンが極めて注意深い観察眼で、副腎髄質から超微量の特異な物質が分泌されていることを、その物質に特有の呈色反応を考案して1856年に発見した。それ以後ホルモン科学はヨーロッパ諸国と英国で着実に発展を遂げ、1893年の歴史的な発見へとつながった。それは、イングランド北部の小さな町の開業医オリヴァーによる息子を実験動物とした「副腎成分の血圧上昇作用」という研究の結果であった。

 さて、その作用を起こす化学物質を解明しようとする熾烈な研究競争が、米国も参入し展開された。ヴュルピアンの研究から数えると実に44年間、22人以上の超一流の科学者が覇を競った結果、勝利したのは高峰譲吉とその助手上中啓三、そしてPD社の研究グループであった。1900年7月21日の早朝、ニューヨークのアパートの半地下にある掃除人詰所用の粗末な部屋を改造した実験室で、試験管の底に微量のアドレナリンの結晶を観察したのは若い上中であった。ヴュルピアン呈色反応確認のあと,結晶はPD社に送られ、極めて強い血圧上昇作用が確認された。そして、特許出願の翌年の高峰の学会発表が世界をあっと驚かせることとなるのである。

 実は、アドレナリンの結晶がほぼ同時にPD社のオードリッチによって単離されていた。しかもこの結晶の元素組成分析から提示された分子組成(実験式)が正しく、高峰の呈示した組成は間違っていた。しかしオードリッチは、両方の結晶は実質的には同一であると学会に報告してくれたのである。この高峰の幸運は、タカジアスターゼの大成功でPD社のデイヴィスに絶大な信用を抱かせて、内分泌というような生理学に興味を抱いたことのない高峰に「アドレナリン研究にも参画しないか」と誘わせたことから巡ってきたと考えて間違いない。

 アドレナリンは1901年にPD社から液体製剤として発売され、以来今日に至るまで、外科、眼科、内科などで大活躍を続けている。救急車に配備される目的の心停止の補助医療をはじめ、心臓外科手術では、あたかもアドレナリンを振りかけるように使用すると言われており、少し前の天皇の手術でも使用されたのではないかと思われるが、今も多くの尊い命を救っている息の長い医薬品である。

(記事/石田三雄氏:平成24年8月22日/文責:事務局)

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