高峰博士の命日に墓参
東京・港区の青山墓地
7月22日は高峰博士の命日です。研究会事務局は同日、青山墓地にある博士のお墓へ、お墓参りに行ってまいりました。事務局が訪れたのは夕刻でしたが、墓地は既に綺麗に掃除され、花も供えられていました。これは、博士を尊敬して止まなかった塩原家の尽力によるものと思われます。
同じ墓所(敷地)内の博士のお墓の向かいに、小さな「高峰英三」のお墓があります。高峰博士の子孫はアメリカ在住ですし、「英三」という名前の方はおりません。では何故か…。実は高峰博士を敬愛した三共株式会社の創始者・塩原又策が、日本に高峰姓を残すため、自身の子ども(6男/英三)に高峰姓を継がせたのです。(関連記事 → こちら)
ウッドローン墓地 また、変な話しに聞こえるかも知れませんが、実は博士の本当のお墓はここ青山ではなく、遠く離れたニューヨークのウッドローン墓地(関連記事 → こちら)にあります。
博士は生前(亡くなる少し前)遺言を残し、自分が死んだら火葬にし、墓地はウッドローンとして、遺骨の半分は妹の竹橋順または塩原又策によって東京の墓所に埋葬するよう希望していました。ところが亡くなる直前にカトリックに改宗したため火葬が許されず、止む無く遺髪のみを東京の墓地に埋葬したのだそうです。
青山墓地・もう一つのお墓 / 高峰博士ゆかりの人
北里柴三郎 それは、北里柴三郎博士のお墓です。
日本では今、高峰博士よりも北里博士の方が有名ですから、この墓所をご存知の方もいらっしゃるかも知れません。青山墓地の南の外れの辺りです。
高峰博士が「近代バイオテクノロジーの父」と言われているように、北里博士は「日本の細菌学の父」と呼ばれています(関連記事 → こちら)。
ウッドローン墓地の高峰博士の隣に野口英世のお墓がありますけれど、野口英世はアメリカに渡る以前、北里博士の元で助手を務めていました。恐らく野口が渡米するに当り、北里博士は高峰博士を紹介していたであろうことは想像に難くありません。実に、不思議な「縁」を感じざるを得ません。
秋山好古 ついでと言っては失礼かも知れませんが、北里博士の墓所の右隣に、「秋山家」のお墓があります。司馬遼太郎の著書『坂の上の雲』に登場する陸軍大将・秋山好古その人のお墓です。
秋山好古は1859年の生まれですから、高峰博士よりも5歳年下の、同時代人。墓誌には、昭和5年11月4日没となっていました。
青山墓地を訪ねる機会がありましたら、是非、高峰博士と北里博士、そして関心がおありでしたら秋山家のお墓を訪ねて頂きたいと思います。
◎青山墓地マップは、>> こちら(提供:青山ネット)
(取材:平成23年7月24日/文責:事務局)