日本晴酒造

高峰博士の母幸子(ゆきこ)の生家は高岡の津田家で、江戸末期の嘉永年間(1844〜53年)創業の造り酒屋でした。その造り酒屋の権利や酒蔵など一式を第二次大戦前に譲り受けたのが、高岡市横田町2丁目の日本晴酒造(旧・荒野本店)です。
現在の3代目荒野社長は、2代目の父とともに何とか地元の酒を守って行きたいと苦心を重ねて来られたとのことですが、後継者確保のめどが立たず、昨年(2010)酒造りを断念し、小売りに転身する苦渋の決断をされたそうです。


ご存知のように、高峰博士は母の造り酒屋で麹(こうじ)に関心を持ち、麹の研究が消化薬タカジアスターゼの開発につながった訳ですが、そういうご縁からも、荒野社長は小売業としてでも何とか日本晴酒造を継続させたいと望んでおられたそうですが、今年になってついに廃業を決断されたと、取材に伺った私たちに話されました。

いろいろ伺った中で興味深かったのは、荒野社長の奥様のお話でした。
奥様は東京文京区のご出身で、近年届いたご出身小学校(窪町尋常小学校)の冊子に興味深い記事が載っているとおっしゃり、わざわざ奥から持って来て見せて下さいました。それによると、小学校は元総理大臣高橋是清邸の邸宅跡地に建設(大正14年)されており、近くにはかつて高峰博士が居住されていたと記されています。高峰博士が工部省官費修技生となったのは1872(明治5)年のことですから、もちろん時代は違いますし、小学校が完成した時には博士は既に亡くなっておりますが、ご縁があると言えば不思議なご縁であると言えるのではないでしょうか。


来年には建家も取り壊されるとのお話しでしたが、北國新聞サイトの記事にもあるように、裏庭のエンジュの木は高峰博士が幼少の頃遊んだとされる木の二代目だそうです。それらも含めて、博士ゆかりのものが消えて行くのは残念ではありますが、この場を借りて、改めて荒野社長と奥様に取材のお礼を申し上げ、同時にご健勝をお祈りしたいと思います。

(取材:平成23年6月11日/文責:事務局)