電源開発(東洋アルミナム株式会社 他)

化学者であった高峰譲吉博士が、黒部の電源開発、ひいては富山県のアルミニウム工業発展に大きく寄与していたことは、意外に知られていないのが実情でしょう。
当時、日米関係が思わしくなくなって来ていたことを憂えていた高峰博士は、1917(大正6)年の東京での日米協会の設立とともに、日米共同の事業を興して少しでも日米親善の一助となれば…と考え、黒部川の電源開発に着目しました。翌年には早くも、黒部川の水利権の申請をしています。
高峰博士は、親交のあった米国大手アルミ企業のアルコア社社長に持ちかけ、1919(大正8)年12月、三共本社内に東洋アルミナム株式会社を設立し、まず黒部川の電源開発に着手しました。博士の故郷(出身地)高岡には銅加工の技術があり、黒部川の豊富な水資源を活用して発電すれば、電力が大量に必要なアルミニウム工業は必ずや発展すると考えたのです。
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高峰博士は会社設立に先立つ1917(大正6)年、東大土木工学科出身で逓信省の技師であった山田胖(ゆたか) を引き抜き、現地調査に向かわせました。(山田は大正8年に東洋アルミナムが設立されると、建設担当重役となっています。)山田は降雪期である12月に、桃原(現在の宇奈月)から黒薙まで調査を開始しています。黒部川は急流で、しかも一年中水量が豊富であることから、水力発電には最適でしたが、内山村(現・黒部市宇奈月町内山)から上流は無人の秘境でした。黒薙に温泉が湧いていることを知った山田は、その温泉の湯を宇奈月まで引いてくれば、温泉地として発展させられると考えました。1921(大正10)年、東洋アルミナムは黒部鉄道株式会社を設立し、鉄道建設に着手しました。宇奈月を電源開発の基地とし、同時に温泉地として発展させれば、一般客の取り込みも可能になり、鉄道事業の運営、電源開発と地域開発が同時に行なえるとの、山田の考えが反映されたものでした。

黒薙温泉の湯を引いた木製導湯管

さらに東洋アルミナムは、1922(大正11)年に黒部温泉会社を発足させ、黒薙の温泉の権利や宇奈月の土地の買収等を行ないました。
しかし、第一次世界大戦後の経済不況の中、1922(大正11)年7月に高峰博士が亡くなると、東洋アルミナムによる電源開発事業は縮小し、黒部温泉会社の土地買収も終結してしまいます。 そしてついに同年、東洋アルミナムはアルミ製造事業を断念し、黒部水力株式会社と改称。高峰博士とともに代表を務めていた塩原又策は、会社の全株式を日本電力に譲渡しました。東洋アルミナムの社長には日本電力の山岡順太郎が就任しました。
宇奈月の名前は、当時ウナヅキ平と呼ばれていたものを、山岡の好きな京都・宇治の「宇」、奈良の「奈」、そして山田と温泉に入っていた時の名月を見て「宇奈月」と命名したものだそうです。高峰博士の壮大な夢は、博士の死とともに日本電力へと引き継がれ、やがて富山県のアルミ産業の発展に繋がって行ったのです。
因に1925(大正14)年、日本電力が黒部水力を合併し、本格的に日本電力に引き継がれました。

黒部川電気記念館 (サイト → こちら

「トロッコ電車」の愛称で知られる黒部峡谷鉄道「宇奈月駅」前に、関西電力・黒部川電気記念館があり、今年の春に展示がリニューアルされました。

ここには黒部川の電源開発の歴史から、数々のダム工事の記録などが、映像やパネル、ジオラマなどを駆使して展示されています。下の写真は、レストシアターで放映されている映像、その下の写真は、リニューアル以前の展示です。

以前の展示はなくなっていましたが、その代わりにモニターを備えた歴史展示や上記のビデオ映像、また「黒部奥山をひらく」と題したパンフレットが備えられるなど、高峰博士が黒部の電源開発に欠かせない存在であったことが、ハッキリ伝わって来る展示になっていると思いました。


その他、黒部ダムを立体スクリーンに見立てて建設過程の様子などが立体的に見られるものや、トロッコ電車が走っている様子をスクリーンで見られるものなど、入場無料の展示館とは思えないほど充実していて、楽しみながら学ぶことが出来ます。

黒部峡谷鉄道「トロッコ電車」 (サイト → こちら

現在は観光の目玉になっている「トロッコ電車」ですが、もとは電源開発のための人と物資の輸送のために施設されたものです。米国ジェフリー社製機関車 EB5 型は、1926(大正15)年から運転を始めました。

現在のトロッコ電車の駅は「宇奈月」から終点の「欅平」まで10駅、総延長20.1Kmあります。電源開発に伴って上流へと建設されて行ったトロッコ軌道は、1937(昭和12)年に欅平まで開通しました。当初は工事専用でしたが、地元住民の要望もあって、「命の保証はしない」という条件で、便乗の取り扱いをしていたということです。現在の黒部峡谷鉄道となったのは、1971(昭和46)年のことです。

トロッコ電車は、平均斜度36度という急峻な渓谷にへばりつくように走っています。トンネルや橋も多く、乗ってみると分りますが、よくもまあこんな所に作ったものだ…と思うほどです。絶景に見とれながらも、建設当時の苦労は並大抵のものではなかったろうと、しみじみ思ったものです。

このトロッコ列車の車内でアナウンスされる案内放送は、富山県出身で女優の室井滋さんが担当しています。なかなか聞き応えがありますが、ふと高峰譲吉博士研究会の会員さんがお話しされていたことを思い出しました。
長野県大町市から黒部ダムへアクセスする関電トンネルトロリーバスの大町方面行きの社内で、アナウンスの中に高峰博士に関する説明があったということです。トロッコ電車の車内放送でも、高峰博士について触れて欲しいものだと思いました。
なお、このトロッコ電車は5月から11月まで運行されますが、宇奈月〜欅平の全線運行は、6月1日からとなります。富山県随一の温泉地であり、黒部峡谷の絶景を楽しみに訪れる方は多いでしょうが、是非「黒部川電気記念館」も訪ねて頂きたいと思います。

(取材:平成24年11月4日/文責:事務局)