高峰譲吉博士研究会

高峰博士の人脈ネットワーク

 幕末、明治、大正の激動の時代を生きた高峰譲吉博士は、科学者として、事業家として、国際親善外交を通じても、大きな足跡を残して来ましたが、それは博士が一人きりで成し得たものではありませんでした。
 博士がまだ少年だった頃から学びを受けた人々、工部大学校の頃から知己を得、その後様々な助力を得るに至った人々、そしてアメリカ人の妻を始め、アメリカに渡ってから知り合い、助けられ、助けて来た人々など、高峰博士の人脈を辿ると、驚くほど多彩な人脈絵図が浮かび上がって来ます。
 高峰博士を知る上で、この人脈ネットワークは、歴史的な縦軸に、多彩な横軸を描いてくれたと自負しております(事務局)。


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年 号 高峰博士のアクション 人 脈
1865 (慶応元)年 長崎留学(譲吉10歳)‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ポルトガル領事・> ロレーロ

> ウィリアム・オルトウィリアム・ジョン・オルト
> グイド・フルベッキグイド・フルベッキ
1869 (明治2)年 大阪舎密学校  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥




七尾語学所  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
 > 桜井錠二と → 後に理化学研究所に関わる)
オランダ人化学教師
ハラタマハラタマ

英国人
パーシバル・オズボーンオズボーン
1873 (明治6)年 工学寮(後の工部大学、現東京大学工学部)…
( > 工学寮(工部大学校 )
( > 関連記事
> 山尾庸三山尾庸三
> 大鳥圭介(1)大鳥圭介
1884 (明治17)年 米国ニューオーリンズ万国博視察‥‥‥‥‥‥
(キャロラインと婚約/譲吉30歳)
> キャロライン(1) キャロライン
1886 (明治19)年 特許局次長兼任、特許商標制度確立  ‥‥‥‥ > 高橋是清高橋是清
1887 (明治20)年 化学肥料会社「東京人造肥料」設立  ‥‥‥‥ 渋沢栄一渋沢栄一
益田孝益田孝
浅野総一郎浅野総一郎 他
 同年 自費海外出張で欧米の産業視察  ‥‥‥‥‥‥
(キャロラインと挙式)
> キャロライン(2) キャロライン
1890 (明治23)年 ウイスキー・トラストより招かれて渡米  ‥‥ 藤木幸助藤木幸助
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1894 (明治27)年 タカジアスターゼ関連の一連の特許成立 ‥‥ 藤木幸助藤木幸助
> 清水鐵吉
1899 (明治32)年 三共商店設立、タカジアスターゼ発売  ‥‥‥ 塩原又策(1) 塩原又策 > 大鳥圭介(2)
1900 (明治33)年 アドレナリンの結晶化に成功  ‥‥‥‥‥‥‥ 上中啓三上中啓三
1904 (明治37)年 セントルイス万博(北里博士、塩原と同行)…
(ミシガン湖 > ヨット上の写真




(日露戦争/1904〜05)
(米の親露感情を親和にするため、高峰博士は
 私財を投じて米世論に働きかける)‥‥‥‥
北里柴三郎北里柴三郎
塩原又策(2) 塩原又策

> 金子堅太郎金子堅太郎
 同年 セントルイス万博後、日本館であった「鳳凰殿」を引き取り、翌年ニューヨーク郊外に移築。松楓殿として日米親善の場とする  ‥‥‥‥‥‥‥ > 大鳥圭介(3)大鳥圭介
1905 (明治38)年 ニューヨークにニッポン・クラブ設立  ‥‥‥ 福井菊三郎
1907 (明治40)年 ジャパン・ソサエティー設立  ‥‥‥‥‥‥‥
(名誉副理事長)
> Japan Society
セス・ロー、ジョン・フィンレイ、
リンゼイ・ラッセル
小池張造、小野英二郎、一宮鈴太郎、村井保固、新井領一郎
1909 (明治42)年 ベークライト事業  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ベークランド博士豊田佐吉
塩原又策(1) 塩原又策
1910 (明治43)年 豊田式自動織機の事業化で挫折した豊田佐吉を
叱咤激励  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
豊田佐吉豊田佐吉
1911 (明治44)年 ニューヨークに国際親善の場となる邸宅完成 … 牧野克次、澤部清五郎
1912 (明治45)年 ワシントン市などへの日本の桜寄贈  ‥‥‥‥
(関連記事:尾崎顎堂記念館 (1)(2)
> 尾崎行雄尾崎行雄
1913 (大正2)年 在米のまま三共株式会社初代社長に就任  ‥‥
(渋沢栄一、益田孝、大倉喜八郎、馬越恭平、浅野総一郎など → 増資協力)


国民的化学研究所構想発表  ‥‥‥‥‥‥‥‥
(1917年、理化学研究所となる)
塩原又策(2) 塩原又策

渋沢栄一渋沢栄一 > 理研メモ
> 桜井錠二桜井錠二
1917 (大正6)年 東京に日米協会設立  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ > 金子堅太郎金子堅太郎(初代会長)
1919 (大正8)年 三共本社内に東洋アルミナム株式会社を設立。黒部川の電源開発に着手  ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 山田胖、山岡順太郎、塩原又策
1921 (大正10)年 ワシントン平和会議日本代表団及び渋沢栄一を団長とする経済視察団を、病を圧してサポート …
(その結果、無理がたたって倒れる)
渋沢栄一、堀越善重郎 他
1922 (大正11)年 7月22日、68歳で逝去、ニューヨーク・ウッドローン墓地に埋葬される。同7月27日 塩原邸、11月東京帝国ホテルで追悼会  ‥‥‥‥‥‥‥ 渋沢栄一、益田孝、浅野総一郎、大倉喜八郎、團琢磨、塩原又策、北里柴三郎、鈴木梅太郎、高橋是清、金子堅太郎 ほか多数