高峰譲吉博士研究会

お知らせ

高峰博士の故郷、高岡・金沢で講演活動 (11月20日、21日)


11月20日(火)、前日の悪天を振り払い、例年通り素晴らしい秋晴れとなり、清水新理事長による北陸講演ツアーが始まりました。清水理事長は、京都が活動の本拠地ですので、新高岡駅での合流となりました。

2018年は少し遅めの紅葉とのことで、色づき始めたばかりの山々と雪化粧の立山連峰を横目に、北陸新幹線「はくたか」で新高岡へ向かいました。



▲ 車窓から信州の山々を望む


▲ 薄らと雪冠の立山連峰

途中、電源開発から100年を迎え、紅葉の名所でもある黒部では、観光シーズンのピークということもあり、降車するお客さんが目立ちました。

当研究会による講演会は、高岡市の高峰譲吉博士顕彰会が中心となって始まり、本年で11校目となりました。今年も世話役は、ゆかりの会副会長・顕彰会世話役の藤森氏にご尽力頂き、北日本新聞、富山新聞、富山中日新聞の取材が入ることとなりました。

国吉中学校は、小学校が隣接していて、かつその小学校が学区内唯一ということで、実質的には小中一貫校のような装いをしています。在校人数は全校で81名ですが、9年間ともに過ごすことでより強いつながりが生まれると先生から伺いました。





清水理事長は、高峰博士がタカジアスターゼやアドレナリンの発明・抽出に成功した功績を伝えるとともに、理化学研究所創設、アルミ産業を興す経緯なども強調して説明しました。

講演後、質問が3つ出ましたのでご紹介します。

(1)なぜ、高峰さんは工学博士と薬学博士を2つもとったのですか。

工部大学校(後の東京大学工学部)を卒業した後、タカジアスターゼの発明を経て工学博士を取得しました。さらに米国における研究でアドレナリンの抽出・結晶化に成功し、海外での活躍を経て、薬学博士を授与されました。

(2)なぜ、アルミ産業を北陸(富山)でやろうとしたのですか。

まず、アルミ産業が国益にかなうものであることを前提に、ボーキサイトを海外から輸入する港(伏木港)、アルミ産業に必須な電力を確保するための水量が豊富な河川(黒部川)、さらに地理感覚のある自分の故郷に産業を根付かせ発展させたいという思い、など様々な条件が整っていたと思われます。

(3)科学の道へ進み、研究をしようと思う、きっかけはどのようなことでしょうか。

加賀藩のご典医だった父から幼少時より教育を受けていたことや、酒蔵だった母親の実家など、子供のころから身の回りに科学にまつわる環境があったことが一つの要因だと思います。






11月21日(水)

翌日も素晴らしい快晴の中、金沢工業大学に向かいました。
2015年から始まった金工大の講演会も今年で4回目となりました。
講演会場は昨年と同じく、アントレプレナーズラボの4F、イノベーションホールで、約40名の学生が講演に参加しました。

今年も学生主体の「未来の高峰譲吉博士は君だ!発酵産業活性化プロジェクト」活動報告会の後、清水理事長の講演となりました。

プロジェクトは、地元の小中学生に科学や理科、生物などに興味が持てるよう大学生とともに実験教室を行うものや、金沢ふるさと偉人館を会場にし、市からの助成金を得て市民を対象としたイベントなど、幅広い層に科学の面白さや高峰博士の功績などを伝える活動となっています。

清水理事長からも「人に教えるということは、同時に自分で責任をもって取り組むことになるので素晴らしいと思います」とコメントがありました。

講演は、山本元理事長、石田前理事長とはまた一味違う切り口で、高峰博士の人間性を交えて功績を語るものとなり、学生たちも真剣に、時には笑顔を見せながら聴講していました。
特に、高峰博士の妻・キャロラインの話は、興味深いものとなりました。

「高峰博士が世の中でなかなか取り上げられないのはなぜでしょうか」と質問がありました。
清水理事長は、幼少時からの英才教育や、会社設立から発明・発見の成功、特許料収入による経済的安定など、環境が整っていたことが要因の一つではないかと回答しました。

純粋な功績や不屈のストーリー、スケールの大きな国際交流など、より広く多くの方に伝わることを研究会も願っております。



▲ 左から、豊原氏(ゆかりの会事務局長)、清水理事長、尾関教授(バイオ・化学部応用バイオ学科)


▲ イノベーションホール




(記事作成:平成30年11月21日、文責:事務局)