高峰譲吉博士研究会

寄 稿(22) 

たかしん高峰記念館がオープンしました!


 2017年12月1日、高岡市御馬出町にある高岡信用金庫別館の1Fに「たかしん高峰記念館」がオープンしました。
 信用金庫の在田長生理事長は、当研究会の役員で、お父上の代から高峰博士を顕彰し続けている方です。記念館は、高峰博士の生家跡に開館し、展示パネルの作成など当研究会も協力致しました。北陸にお越しの際は、ぜひ足をお運びください。

 また、今回のオープンに際し、在田氏より寄稿文を頂きましたので、ご紹介いたします。






▲ 富山新聞2017(平成29)年12月2日(土)


【寄稿】 たかしん高峰記念館開設に思うこと

高岡信用金庫理事長 在田 長生 

 私が、高峰博士の事を認識したのは、小学校高学年になってからであった。しかし、タカジアスターゼの薬については、保育園幼少の時代から知っていた。私の母の実家は開業医で、小さい時から病弱だった私は母方の祖父にしょっちゅう往診に来てもらっていた。お腹をこわした時処方されていたのがタカジアスターゼで、中学、高校と大人になる迄、お世話になった薬である。その薬と高峰博士の事が結び付いたのは、小学校の卒業式と合わせて行われる同窓会入会式での式辞の中での説明であった。同窓会長が高岡の生んだ世界的科学者、高峰博士の功績としてタカジアスターゼとアドレナリンの事を紹介していたからだ。私の卒業した小学校は横田小学校で明治5年に学制が定められた2年後、明治7年開学の高岡市でもっとも古い小学校の一つである。又、高峰博士のご母堂は同じ横田校下で酒造業を営む家の津田幸子さんという縁もあった。代々の同窓会長は同窓会入会式で高峰博士の事を紹介し、志を持って、学ぶ事を続ければ、博士の様な立派な人物になれるという希望と夢を子供達に持たせる事、これが使命であった。
 私の父、私、私の家内、私の子供3人とも横田小学校の卒業生である。私の父は、昭和57年頃より平成15年頃迄同窓会長を務め、私の子供3人とも亡き父から高峰博士の事を学んでいる。こうした事から、父の遺志を形にし、次の世代へとつなぐのが、私の地域への貢献、責務だと考えていた。
 高岡信用金庫は、高峰博士が生誕したといわれている故高峰家の屋敷跡で現在は高峰公園に隣接している。地元の人の関心も高く、父や祖父の代からの伝承があり、高峰家の屋敷跡の範囲の間違いの指摘があって公図並びに土地登記簿の記録から高峰記念館も屋敷の敷地内であったことが解った。縁の深さを感じたしだいである。
 そうした背景もあって、本店仮営業部として利用していた建物の内装を変え、高峰博士に関する展示コーナー、又、付近の町内には公民館が無いので、町内の寄り合い、役員会等に利用出来るスペース、それと保安上の理由から、職員の常駐する相談コーナーとして、活用する事と考えた。
 展示、資料については、本当にNPO法人高峰譲吉博士研究会の御協力に感謝申し上げたい。何度も石田理事長初め多くの方々の監修チェックを受け、引用写真等も著作権問題をクリアして頂けたのは、本当に有り難かった。私一人の力ではとうてい出来なかったと思っている。
 昨年12月1日(金)にオープンし、最初の土日曜日で新聞記事を見られた方だと思うが、約60名程度の方に来館頂いた。展示資料をきちんと読み、写真等を見ると25〜30分かかるが、それでも、地域の方々に、少しでも高峰博士の事を知ってもらえる拠点が出来たと考えている。
 余談になるが、本年1月4日、富山県下経済団体による新年互礼会が富山で行われたが、石井富山県知事より、「在田さん、高峰譲吉博士の事一生懸命やってるんだね」と言われましたので、「知事も機会が有れば一度御来館下さい」と申し上げた。
 この様に高岡市のみならず、富山の政財界の当館に対する期待の高さを感じたしだいである。
 これからも、情報発信に努め、少しでも多くの人に高峰博士の事を知ってもらう努力を続けたい。


▲ 高峰公園(手前)と記念館(奥)


▲ 高岡信用金庫別館は、高峰記念館の他に地域の拠点としても活用されています


▲ 記念館内部の様子(1)


▲ 記念館内部の様子(2)

(作成:平成30年3月16日/文責:事務局)