高峰譲吉博士研究会

寄 稿(16) 

高峰夫妻の一人の孫が逝去


 先日、当研究会副理事長・滝富夫氏へ、米国のラトガース大学 (Rutgers University, New Brunswick) の植物生理・病理学部のベネット先生 (Dr. Joan W. Bennet)(当研究会会員) から、貴重な情報がもたらされました。高峰譲吉夫妻の孫の Dr. Jokichi Takamine Ⅲ (3世) が、1年8か月ほど前に逝去されていたという情報でした。
 そこで、このお孫さんがどんな人であったか、簡単ですがお知らせ致します。


人物像

 譲吉3世は、アルコール中毒と薬物依存症治療の分野での彼の生涯を通じての貢献によって全米で著名でありましたが、2013年12月18日、カリフルニア州サンタモニカにおいて89歳で逝去されたことが、同月23日付けのロサンゼルス・タイムス紙 (1) に掲載さました。

Dr. Jokichi Takamine Ⅲ


 それによれば、譲吉3世は、マサチュウセッツ州ウイリアムストンにあるウイリアムス・カレッジ (Williams College) とニューヨーク大学医学部の卒業生で、ニューヨークおよびロサンゼルスでの病院勤務のあと、1957年から開業医となり、同時に著名な病院の信頼されたスタッフとしても活躍しています。彼はその後、1974年に2人の仲間と一緒にセント・ジョンズ化学物質依存症治療センターを立ち上げました。彼はこの分野で、カリフォルニアと首府ワシントンの双方において、多くの公的医療施設およびロサンゼルスのカリフォルニア大学研究所などで、アルコール中毒と薬物依存症の分野での指導的な役割も引き受けています。
 彼は、名前からして有名な日本人・生化学者高峰譲吉の孫であり、本当にユニークな存在でもあり、生涯を通じて他人を助ける為に尽くしたのです。このことが彼を全米で著名にしたばかりでなく、仕事に対する地域社会での表彰に繋がったのだが、もっと大切なことは、彼に対しての家族の、友人の、患者の、そして仲間の賞賛をもたらしたのであります。
 愛称のジョー(Joe)で友人によく知られていた彼は、軍への奉仕に誇りをもって尽くし、ブレントウッド・プレスビテリアン教会の活動的なメンバーでもありました。彼には一人の姉(か妹?)キャロライン(既に故人)がいました。娘が一人いて, 名前は、Deborah Moyer。

 最後にこの記事を掲載している新聞社 (2) は、霊前への献花よりも、薬物依存症治療団体への寄付をお願したいという要望を掲げている。

1回だけあった譲吉3世との接触

 この情報に接した時、大変懐かしいことを思い出しました。それは、譲吉3世に高峰譲吉生誕150周年記念展覧会の英文図録を提供した時に、彼が大変喜んでくれたことを知った時です。
 ちょっと長くなりますが、そういう運びになった経緯を先ずご説明したいと思います。2004年に東京上野の国立科学博物館で「高峰譲吉生誕150周年記念展覧会」を開催したのですが、先ず高峰譲吉さんに関する出来るだけ多くの情報を集めるべく、人脈を辿って実行委員会を立ち上げましたが、そこに貴重な情報を提供して下さった方の一人が、米国チューレン大学・名誉教授で生理学者の有村章氏でありました。

 この記念展では、通常来館者に有料で頒布されるいわゆる図録を準備する予算がとれなくて断念しておりましたが、それから3年後に一念発起して、英語版の作成を思い立ち、昔アメリカへの留学先で先輩留学生として面倒を見ていただいたニューヨーク州立大学シラキュース校の名誉教授で、完全なバイリンガルである中津川勉博士に英訳を引き受けていただき、やっと2007年に目的を達成しました。
 当然ですが、記念展開催にご協力いただいた有村章・名誉教授に第一番に英訳版を送付したのですが、有村先生がその1冊を譲吉3世に寄贈されました。その結果“高峰譲吉3世から、現在でもこんなに祖父を顕彰してくれていることを知って、大喜びし感謝しているという返事を貰いましたよ”という丁寧なお手紙を有村先生から頂戴したのであります。
 まことに残念至極としか言いようがないことが、そのすぐ後に起こりました。有村章先生の訃報でありました。文字通りタッチの差で英文図録が譲吉3世の手元に届いたという次第です。
 ここに有村章先生の訃報の要点を次に紹介して、黙祷しつつ、この稿を閉じさせていただきます。


「ニューヨーク共同、Dec. 12、2007
米国チューレン大学・名誉教授、生理学。2007年12月10日、肺炎のためルイジアナ州ニューオーリンズ市の自宅で死去、83歳。神戸市出身。1951年名古屋大学医学部卒。米国エール大学で神経内分泌を研究し、1965年から米国ニューオーリンズ市のチューレン大学で視床下部ホルモンの研究をするなど神経科学の第一人者として知られていた。同大学に日米協力生物医学研究所を設立。1995年旭日中綬章受賞。慶応大学医学部客員教授」

キャロライン高峰の逸話

 高峰譲吉夫妻が家族ぐるみで親しく付き合った一人に、映画「オクラホマ」、「地上最大のショー」、「カルメン」などの名作で日本人にもなじみのあるアカデミー賞とゴールデングローブ賞の受賞者セシル・デ・ミル監督 (Cecile B. De Mille, 1881-1959) の姪のアグネス・デ・ミル (Agnes de Mille) が、思い出を書き綴った著作 (2) に、次のような大変興味のある記述があります。


この著者アグネスが、ある時金髪の孫譲吉3世に向かって1つ次のような質問をした。
“高峰譲吉夫人となったキャロライン (愛称キャリー) は、日本人の妻としての生活に、そして若かった頃の異国での結婚生活の寂しさに、どのようにして耐えていたの?”と。
譲吉3世は、落ち着いたもので、“カウボーイのチャールス・ビーチに対してはどうだった。それと同じだよ。彼女はちゃんとやったのさ。しかも幸せにね” と返事したのである。

 この「カウボーイ」であるが、キャロラインは、夫・高峰譲吉の死から3年後 (1925,58歳) に、次男エーベン孝 (Eben) の友人チャールス・ビーチ (Charles Beach, 25歳) と再婚し、南部テキサスで88歳で永眠するまで暮らした。遺体は、高峰譲吉夫人・キャロライン高峰として、ニューヨーク郊外のセレブの Woodlawn 墓苑で高峰譲吉と共に眠っている。

ビーチ夫妻 (3)より転載(写真左が、再婚したキャロライン)


参考文献
(1) 譲吉3世の訃報:Los Angeles Times on Dec. 23, 2013。
(2) Agnes de Mille著『Where the Wings Grow』, Life Magazine, Time, Inc.1978年出版, p.257。
(3) 飯沼信子著『高峰譲吉とその妻』新人物往来社,1993年10月刊。


(作成:平成27年7月29日/文責:石田三雄)