高峰譲吉博士研究会

高峰博士ゆかりの地・人

ゆかりの地‥‥1)富山県高岡市

高岡市の概要
 高岡市は、富山県の北西部に位置する。西には二上山、西山丘陵が連なり、四季折々の色合いを見せている。豊かな穀倉地帯を育んで流れる庄川・小矢部川が市内を貫流し、庄川扇状地の北端にあたる市街地の南部は良質の地下水が自噴している。北は富山湾に面し、雨晴海岸からは海越しに3000メートル級の立山連峰の大パノラマを見ることができる。(高岡市ホームページ/ >「ほっとホット高岡/高岡市の概要」より)


 高峰博士は1854 (嘉永7)年、富山県高岡に生まれました。その生家跡(現・御馬出町)は、現在「高峰公園」として市民に開放されています。
 JR高岡駅から北西へほぼ1Km弱、ゆっくり歩いても15分ほどでしょうか。付近には格子窓や土蔵造りなどの古い民家の残る、落ち着いた風情のある町です。
 (マークの付いている写真をクリックすると、別ページで拡大画像をごらんになれます。)



▲土蔵造りの町並み、金屋町・千本格子の家並み(高岡市観光ポータルサイト・ > たかおか道しるべより)

 高岡関野神社横から御旅屋町通りを東方向へ歩くと、アーケード街を抜けてすぐ右手に、日本三大仏のひとつ、 > 高岡大仏が現れます。
 1745年に建立された当時は、高さ10mほどの木造金色仏で、その後二度の大火によって焼失、建立がくり返されましたが、昭和に入って今度は再び焼けることのない鋳銅仏を…との願いにより、昭和8年(1933)、現在の高岡大仏が完成しました。
 高峰博士が生まれた頃(1854(嘉永7)年)は、高さ5mほどの二代目大仏が存在していたことになります。

▲ページのトップへ

 大仏様を通り過ぎてしばらく行くと > 高岡古城公園に突き当たります。この公園は、加賀藩二代目藩主前田利長が築いた高岡城の城址を、明治以来公園として開放したものです。
 中に入ってすぐ右の護国神社の角を右へ向かうと、 > 高岡市立博物館があります。ここには高峰譲吉博士にまつわる展示物が常設展示されています。

 写真左端は、明治後〜大正期にかけて博士が愛用されたオペラグラス、ルーペ、メガネ。
写真・中は、同じく明治後〜大正期にかけて、三共株式会社によって製品化、販売されたタカヂアスターゼとアドレナリンです。

 同じく展示されている博士の石膏像は、高峰公園にある銅像の原型です。こちらを先に見てから、公園の銅像を見てみるのも一興でしょう。

 もうひとつ、博士ゆかりのものが博物館の近くにあります。

 写真右の案内図でも分かる通り、古城公園の西南角です。平成8年の高峰譲吉博士資料展開催記念に、ワシントン産の桜を植樹しており、その桜が元気に育っているのです。高山右近の銅像が目印です(その裏手)。

 最後の写真(右)はJR高岡駅ですが、何でこんな写真を上げたかと言いますと…アルミ会社の看板です。
 高峰博士は富山県の黒部峡谷で本格的な電源開発を始め、東洋アルミナム株式会社を起こしましたが、これが元となって、富山県では >>アルミニウム工業 が盛んになったのです。

 高岡の街を訪れる機会がありましたら、是非観光や仕事の合間に、これら高峰譲吉博士を偲ぶ記念の場所や品々を見て頂きたいと思います。

(取材:平成22年11月3日/文責:事務局)


富山県高岡市

富山県

【面積】209.38平方キロ
 (東西約25km、南北約19km)
【人口】181.229人
 (平成17年度国勢調査)
【世帯】60,426世帯
 (平成17年度国勢調査)

現在の市街地は、慶長14年(1609)、加賀藩二代藩主・前田利長公の築城に伴って開かれた。このとき、「詩経」の一節「鳳凰鳴けり彼の高き岡に」から「高岡」と名付けられた。

当NPO法人・山本理事長、
三協立山アルミ佐加野工場訪問
2010年11月9日
北日本新聞記事
記事:北日本新聞社・高岡支社